新しいAI時代の幕開け
コロナウィルス感染症COVID-19による感染拡大の影響により東京都や大阪府など7都道府県に緊急事態宣言が発令された4月7日以降,あらゆる産業の動向や人々の生活様式が大きく変わり,それに伴う宅急便の流動も大きな変化を見せています.近年,日本が経験したことがない事象なので過去のデータが役に立たなくなってきています.ヤマトホールディングス株式会社では宅急便を扱う現場のオペレーションを最適化するため,荷物の流動を予測する機械学習アルゴリズムを構築し運用していますが,緊急事態宣言以降,予測結果に狂いが生じてきています.
過去数年分のデータを教師データとし数ヶ月先までの予測を行っているのですが,コロナ禍によって消費行動が大きく変わり、当然のことながら予測を上回る荷物が動いていたのです.また緊急事態宣言の最中の大型連休や母の日のイベントなど,かなり特殊な状況が重なり,予測精度を上げる事は困難を極めました.緊急事態宣言以降のデータを分析し,これまでの予測モデルを見直し“withコロナ補正”を行い現場に展開しました.しかし,東京都や大阪府など8都道府県を除く39県の緊急事態宣言が5月14日に解除され段階的な緩和が始まると,元に戻る要素も加味しながらの予測が必要となります。近年の“AIブーム”により統計的,帰納的な機械学習アルゴリズムを用いた予測に基づくオペレーションが浸透してきましたが,with コロナの時代では短い期間かつ少ない情報量で長期を見通すアプローチが必須となってきます.極論ですが,1日のデータから3ヶ月先までの予測ができる予測モデルが必要とされる時代になっているということです.
このような予測モデルを実現するためにはこれまでの帰納的な機械学習アプローチから脱却し,シミュレーション技術を組み合わせた確率論的なアプローチを併用することが重要だと筆者は感じています.そのためにはこれまで以上の細かいメッシュでデータを収集・蓄積しておく必要があり,データの観点からも新しい取り組みを実施する必要に迫られています.これまでは日別・市区町村別のメッシュで十分だったものが,時間帯別・街区レベルまで細分化されたメッシュでのデータに基づいた予測モデルを構築するためのデータ取得の仕組みなども新たに構築する必要性が高まります.究極的にはコンピュータ上にフィジカル空間を再現できるようなシミュレーション環境とデータセットを用意して,数十万から数億通りのシミュレーションを瞬時で行い,確率分布を計算し,提示するシステムが理想です.昨今,注目を浴びつつある量子コンピューティングのテクノロジーがこの課題を解決する一助となるのではないでしょうか.またフィジカル空間をサイバー空間に写像するIoTやセンシングデバイス,5Gなどのネットワークに関するテクノロジーもこれを機に一気に加速すると思われます.
信頼されるデータ
ニューノーマル時代に新しいAIが必要になるのと同じくらい重要になるのが信頼されるデータです.“トラステッド・データ”という表現を筆者は用いていますが,データの信頼性が格段に求められる時代が今後訪れるでしょう.年初に感染が広がりだしたCOVID-19に関するさまざまな情報がメディアやSNS等を経由し,中には間違った情報にミスリードされた人も多かったように思われます.
“トラステッド(信用)”には大きく2つの観点があります.1つはデータ自身の信頼性,もう1つはそのデータを管理したり保証したりする機関の信頼性です.COVID-19に関する情報は一つ間違えば生命の危機にも関わりますので,信頼できる情報ソースから提供される必要がありますし,中身も客観的なエビデンスに基づいたものでなければいけません.また,個人の行動や健康状態に関するデータも重要になります.「免疫パスポート」や「健康パスポート」という行動やバイタル情報などを記録し,濃厚接触がなく体調も良好でクリーンであることを示すものが議論され始めています.ここでは,正しいデータを取得し改竄できないような仕組みが求められ,しかもそのデータを管理する機関についても非常に重要な役割を担うことになります.非常にセンシティブな情報を扱うことになりますのでセキュリティ対策も重要で,テクノロジーの面からもデータ・セキュリティや改竄困難な分散型台帳としてブロックチェーンの技術もあらためて脚光を浴び,活用が進むのではないでしょうか.
重要となるテクノロジー
AIとデータの観点から考えると前述のように,昨今の多くの教師データを必要とする機械学習を進化させた,シミュレーションを組み合わせたアプローチが必要になり,それに伴うこれまでとは桁違いの計算を処理するための量子コンピューティングの分野が加速していくと思われます.また,非接触でバイタルを測定するセンシング技術,データをリアルタイムに流すための5Gの普及,更には重要なデータを保護するためのセキュリティや改竄を防ぎ透明性のあるデータ管理を行うためのブロックチェーン活用など,昨今注目されてきた要素技術の活用範囲と普及速度が大きく変わっていくのではないでしょうか.そして新しいテクノロジーを実装していき,安心で安全な世界が実現することを切に願います.
著者紹介
中林 紀彦
ヤマトホールディングス株式会社 執行役員
2002年,日本アイ・ビー・エム株式会社入社.データサイエンティストとして顧客のデータ分析を多方面からサポートし企業の抱えるさまざまな課題をデータやデータ分析の観点から解決する.また,エバンジェリストとしてビッグデータをビジネスに活用することの価値を幅広く啓発.株式会社オプトホールディング データサイエンスラボの副所長,SOMPOホールディングス株式会社 チーフ・データサイエンティストを経て2019年より現職.重要な経営資源となった“データ”をグループ横断で最大限に活用するためのデータ戦略を構築し実行する役割を担う.また2014年4月より,筑波大学大学院の客員准教授としてデータサイエンスに関して企業の即戦力となる人材育成にも従事する.
Yamato Digital Transformation Project : https://www.yamato-dx.com/