はじめに
近年,デジタル技術の発展やDX,脱炭素社会実現に向けたGX等の進展に伴い,市民や顧客からのサービスに対する要求が一段と高まっており,企業や行政では,新規サービスの創出や既存サービスの改善等への期待から,これまでの組織の在り方を見直し,新たな体験価値を生み出すサービスデザインの組織導入・浸透を加速している(スディックドーン 2020;谷本ほか 2013).本稿では,田中ら(2023)のサービスデザイン原則の1つである人間中心デザイン(HCD,human-centered design)を企業に導入・展開し,浸透の過程を分析した事例を紹介する.
実践事例
日本の組織開発は,科学的管理法や管理工学の手法を小集団活動として展開する中で,職場開発として普及してきた.例えば,Industrial Engineering(IE)のように,生産プロセスのムダを徹底的に省くことで,コスト削減や生産性向上を実現する取り組みが代表例である(北岡 2006).また,小集団活動を核としたQuality Control(QC)サークル活動も進められてきた.このQCサークル活動は,当初はトップダウンによってグループが組織されていたが,後にボトムアップの要素を取り入れたTotal Quality Control(TQC)へと発展し,製造部門以外へ展開されていった(小川 2020).一方で,こうした小集団活動を核とした従来活動に対し,いくつかの課題も指摘されている.まず,従業員の自発的な参加を是としつつも,実際は経営層や管理者主導で推進されることが多く,活動が形骸化・マンネリ化しやすい点が挙げられる(小川 2020).また,生産性を高めるために機能ごとに組織が分化しているため,小さな改善活動等は積み重なっていくものの,組織全体に浸透していくような大きな変化をもたらすことは難しいという点も指摘されている(鐘 2006).
本事例では,A社営業所Bを対象に,停滞しがちな改善活動に代わるアプローチとして,従業員個人が楽しさや面白さを見出しやすいよう,HCDアプローチを取り入れ,従業員が「自分たちが組織を変える」という感覚を持ちながら,主体的に職場環境の整備を推進している.以下に,この活動の具体的な展開過程とその特徴について詳しく述べる.
フェーズ1「コミュニティ発足準備」
フェーズ1では,B営業所の組織を人間中心の視点(エスノグラフィックな視点)で理解することから始めた.例えば,B営業所には14の職場があり,約30年にわたって管理工学に基づく改善活動で成功を収めてきたこと,この改善活動を「職長」と呼ばれるリーダーを中心に実践していたこと,一方でIEの改善活動に停滞感があり新たな改善箇所の発見が難しくなっていること等が理解された.次に,こうしたユーザ視点での組織理解に基づき,コミュニティ導入計画を立案していた.この計画では特に,人間中心の視点から導入組織を理解し,既存の組織文化を尊重することが重視された.
フェーズ2「小規模コミュニティの発足」
フェーズ2では,小規模コミュニティを発足させるべく,専門家Cが各職場から集められたメンバ6名を対象にHCDを学ぶ講座(9日間)を実施した.特に,笑顔・楽しさ・応援等感情面に着目した運営,皆が気兼ねなく意見を述べ自分らしくいられる対話型の研修進行を重視することで,各々のポジティブな感情醸成につながった.
フェーズ3「小規模コミュニティの持続と定着」
フェーズ3では,フェーズ2にてHCDの学びを深めた6名が,職場での実践者として成長できるよう,専門家Cと共に「楽しみながら学ぶ場」を月1回開催し,プロトタイプの設計や評価を繰り返す実践教育を1年間にわたって実施した.このフェーズでは,HCDにまつわる思考,行動,価値観などの実践知を伝承することが重視された.また,専門家Cは,メンバと横並びのフラットな関係を維持しながら,HCDに関する理解や模倣行動を促進するための対話や問いかけ,共感や応援などの情緒的サポートに焦点を当て,形式知化が難しいHCDの知識を効果的に伝達するための工夫を行った.
フェーズ4「コミュニティの拡大準備(職場越境コミュニティ)」
フェーズ4では,小規模コミュニティ6名が所属するそれぞれの職場から10名程度のメンバを募り,50名規模の「職場越境コミュニティ」を新たに形成した.このフェーズでは,小規模コミュニティ6名がHCDの知識を伝える役割を担い,6名が共同でファシリテートしながら手法の展開を進めた.特に,6名が安心して取り組める基盤を整えるべく,本活動への理解者を増やす仲間作りや,失敗を恐れずに挑戦できる環境作りが重視された.
フェーズ5「職場へのコミュニティ導入」
フェーズ5では,小規模コミュニティ6名それぞれが所属する職場全体を対象に,2人1組でファシリテータを務め展開活動を進めた.このフェーズでは,「職場越境コミュニティ」のメンバに手法展開をサポートしてもらうことで,小規模コミュニティ6名が持つ不安を低減し,ポジティブな感情経験を損なわないことが重視された.例えば,各職場で進んで活動に参加する,場を盛り上げる,内容を補足するなどの感情面の支援が行われた.
フェーズ6「全職場へのコミュニティ導入」
フェーズ6では,B営業所の14職場全体に手法を展開すると同時に,営業所の管理職や職長全員にHCDにまつわる基本的な考え方の教育,活動への巻き込みを実施した.このフェーズでは,「全社的な標準教育として,認知を拡大すること」が意識され,本手法を職場内に公式化し,全営業所規模での文化の浸透することが目指された.
このように,本事例では段階を踏んだ学習・実践プログラムによって,小規模コミュニティ6名は活動に対して楽しみや価値を見出しながら,受講生,実践者,改革者へと成長していった.また,小規模コミュニティ6名を核として,組織の中にHCDの考え方や振る舞いが理解・浸透されていく素地が形成され,従業員自身が新たなデザイン活動を展開しやすい土壌が整った.
実践事例を踏まえて
改善活動のような,小集団活動を核とした管理者主導の活動を展開してきた組織において,個人の主体性や創造性が求められるサービスデザインの理解・浸透に難しさがある中,本事例では,従業員の職場環境に新たにHCDの核となるコミュニティを作り,徐々に成長させていくことで,サービスデザインが浸透しやすい土壌を作り上げた.改めて本アプローチをまとめなおすと,田中ら(2023)は,人間的側面を重視するアプローチから組織開発を進めること,すなわち,従業員が「自分たちが組織を変える」という感覚を持ち,主体的に組織開発する職場環境を整えることが必要であると述べ,人間的側面を重視するアプローチとしてサービスデザイン原則の一つであるHCDを採用し,従業員体験をデザイン対象として捉え,以下のアプローチを提唱した.
① 利用状況の把握:従業員の認知・感情・行動といった人間的側面に着目し,現在の職場環境を把握・整備
② ユーザ要求の明確化:従業員の現場課題,職場改善ニーズを理解・明確化
③ 解決策の設計:ポジティブな従業員体験(楽しい・やりがいのある・働きやすい業務体験)を増やす活動・取組を設計
④ 設計の評価:③に対して,従業員主体でフィードバックを実施・共有
また,本事例において特徴的なのは,従業員の日常の中に,HCDを実践し,成功体験を積み重ねることができる実践コミュニティが作られた点である.具体的には,講師を含め,HCDに関心を持つ従業員が集まり,対話を重ね,持続的に学習・成長する従業員同士が交流できる場が構築された.また,ここでは,情緒的サポートとして応援や共感を意識的に繰り返し,職制や上下関係を意識せずフラットかつ協創的に意見を出し合えるようになっていた.この結果,従業員はサービスデザインの根幹となる考え方や振る舞いを実践知としても体得し,組織内への展開を推進できる人財へと成長した.
おわりに
サービスデザインの考え方を組織に浸透させるという目標は,本質的には組織を構成する「人」,すなわち,従業員の行動様式や意識・感情を変革するということである.そのため,サービスデザインの一原則であるHCDの浸透という目標についても,HCDアプローチに沿って従業員を取り巻く職場環境を理解し,潜在的な課題やニーズを外在化させ,実践の場をうまくデザインしながら従業員の自発的な気づきを促していくことが重要である.この活動が継続されていくと,将来的には組織内に安心してHCD活動を実践する小規模コミュニティが形成される.しかし,従来とは異なる特性を持つため,必ずしも全員が肯定的ではなく,周囲の厳しい声によってコミュニティが委縮・消滅してしまうリスクがある.HCDを提唱したドナルド・ノーマンが感情の重要さを指摘しているように(ノーマン 2004),従業員に対しポジティブな体験を提供し続けつつ,その感情をうまく周囲に伝染させていくことが,組織内のHCD浸透活動継続の鍵になると考える.
参考文献
小川慎一(2020).問題解決のための協働 ──日本企業における小集団活動の歴史,日本労働研究雑誌,pp4-13.
北岡正敏(2006).インダストリアルエンジニアリングの成果と現状,神奈川大学工学研究所所報,pp18-26.
田中伸之介,南谷圭持,中村優花,平田謙次,松本裕希子,原有希(2023).人間中心設計に基づく組織開発手法:従業員が楽しみながら組織変革するコミュニティの事例分析,経営情報学会論文集,pp143-146.
谷本寛治,大室悦賀,大平修司,土肥将敦,古村公久(2013).ソーシャルイノベーションの創出と普及,NTT出版,pp3-7.
鐘亜軍(2006).品質管理の歴史的展開:日本版TQMを中心に,桃山学院大学環太平洋圏経営研究,pp117-132.
ドナルド. A. ノーマン(2004).エモーショナル・デザイン‐微笑を誘うモノたちのために,新曜社.
マーク・スディックドーン(2020).This is service design doing,BNN新社,pp36-43.
著者紹介
中村 優花
株式会社日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ.HCD-Net認定人間中心設計専門家.ユーザリサーチを通じたHuman Centered Designによる製品・ソリューション開発やサービスデザイン手法研究に従事.



