私が生活と仕事の拠点としているデンマークでは,マイナンバー(デンマークではCPRと呼ばれています)が68年から導入されています.もともとは,高福祉高負担の国を維持するために確実に徴税をするニーズから始まったと言われます.どこの国も一緒ですね.

その後,公共サービスの電子化戦略のもと,2000年代以降は,マイナンバーに紐づけられた電子署名(NemID, 実際のところハンコやサインのようなものではなくオンラインで完結する2段階の個人認証の仕組みです),政府との電子的な連絡手段の電子私書箱(Digital Post),政府との連絡銀行口座(NemKonto),オンライン電子請求(NemHandel)の仕組みなど,日常生活や日常業務に関わる電子的なコミュニケーションの仕組みが次々と設置されました.2020年の今では,政府からの連絡は即日・デジタル,手続きも全てオンラインで完結できるので,物理的に役所に足を伸ばす必要は皆無です.デンマークの電子化政策に関しては,いくつか参考資料を挙げておきますので,ご関心がある方は,文末のリストをご覧ください.

20年ほどの紆余曲折はあったものの,今どのような日常になっているか,簡単に紹介したいと思います.

事業主は,企業のマイナンバー(CVRと呼ばれます)を使って,1週間に一度など定期的に政府からの連絡事項をデジタルポストで確認し,毎日の決済は,オンライン請求書やデジタル会計システムを使ってデジタルで処理しています.請求,会計,納税などがほぼ全てデジタル化され,被雇用者の所得税や消費税をはじめとした税金処理が自動化されています.納税処理は,オンラインで毎月行います.

個人のマイナンバー(CPR)の状況も同様で,CPRは,毎日どこかで使っています.病院や家庭医からの連絡を受け取るため,子育て資金の入金確認書類を閲覧するため,今年の納税額を確認するため,銀行口座にログインするためなどです.

ここまで来るのに20年かかってますが,今現在,15歳から90代のシニアまで,マイナンバーを利用できているのには,理由があります.一つには,ITが生活の隅々まで入り込んでいるからです.連絡・手続き処理の電子化は,公共機関がまず率先して導入し,次に公共と民間企業間に拡大,そして最後に公共と市民一般に拡大するというように段階的に展開していきました.つまり,公務員から先にハンコの利用をやめ,民間企業にやめさせ,市民にやめさせたようななものです.上流のインフラが整い,業務で強制的に仕組みを学びました.使い始めると便利なので,民間企業と市民の間,市民同士の間でもデジタルの利用が促進されました.一般のITに不慣れな人たちも,公共ITシステムの活用にむけて外堀から埋められていったような感じです.

二つ目として,そのような多様な人に使ってもらうために,使い勝手が良く,わかりやすい仕組みを提供していきました.社会は多様な人たちで構成されています.男女,若者・高齢者,特別なニーズを持っている人たち,聴覚障害者,視覚障害者.全ての人たちが社会の構成員です.その社会の構成員すべてがこぼれ落ちることがないように,使い勝手の良いシステムを提供していきました.具体的には,政府がサービスデザイナーを雇用し,ペルソナを活用したり,利用シーンに合わせたユーザージャーニーを設計し,それに基づいたサービス開発が行われたことがこれに当たります.現在では,デンマーク電子化庁をはじめとし,デンマーク各省庁には,サービスデザイン部門や戦略デザインを学んだ若い精鋭が多数雇用されるようになっています.

さらに,利用者が利用のメリットが感じられるというのも重要です.国や公共機関への各種申請書や手続きには,子供の生年月日や家族構成などの個人情報が事前入力されているので,余計な手間をかけずに済みます.究極のところ,作成された書類を閲覧し承認するだけになってきています.子育て支援金なども定期的に申請する必要はなく,子供の年齢や家族構成から算出され,自動に連絡銀行口座に入金されます.所得税や不動産税を多く払いすぎた場合には,これも自動で還付されます.

電子的な仕組みが公共サービスに導入された当初は,ITについてはそれなりに知っているはずの私でも慣れるまでに時間がかりました.ニュースでも,政府からの連絡が来てきちんとメールを見なかったため追徴金が取られるケースが報道されたりもしました.市民は,面倒臭くても,デジタルポストに連絡が入ってきた場合には,確認する義務がありますし,オンラインで手続きする納税記録の承認は,期日までに済ませなくてはいけません.ログインしたかどうか一目瞭然なので,言い訳は通用しません.

今回のCOVID-19影響下では,市民がマイナンバーを持ち多くの手続きが電子化されていたことが,適切な即時公共サービスの提供に貢献していたと言われます.公共機関と市民との連絡手段が確立されていたため,個人の電子私書箱に医療機関からの「コロナ対策や注意すべきこと」の連絡がすぐに届きました.市民の医療情報が電子化されていたこと,家庭医,地方福祉・医療,病院が連携していたことで,正確な感染者数の把握や患者特性の分析がしやすかったと言われます.所得税や法人税が月単位で把握されることで,実際に大きな打撃を受けている個人が特定しやすく,給付の処理が適切かつ迅速に行われたと言われます.ちなみに還付が行われる場合には,通常通りの連絡銀行口座が活用されました.

権利と義務は表裏一体とはよく言ったものです.デンマークでは,適切かつタイムリーな公共サービスを受けるために,市民は,オンライン公共サービスを受け入れ,デジタルスキルを身につけて環境を整備し,理解し,対応する義務があります.そのコインの片側として,安心できる適切な情報が提供され,不安から市民を守る様々な救済措置が提供されたのだと思います.

電子政府関連の著作

  • 安岡美佳. 北欧電子決済の現状から見る電子貨幣の展望. 行政&情報システム,行政情報システム研究所,8 月号, p.46-52, 2018.
  • 安岡美佳, 那須優一, 栗山緋都美, 北欧の電子政府と連携体制-フィンランドとノルウェーの電子政府推進体制,行政&情報システム,行政情報システム研究所,4月号.Vol.52, No.2, p.16-23, 2016.
  • 安岡美佳, モータン・メイヤホフ=ニールセン, デンマーク行政サービスのデジタル化,行政&情報システム,行政情報システム研究所,vol.51, p.10-16, 2015.
  • Morten Meyerhoff Nielsen & Mika Yasuoka, Analysis of the Danish Approach to E-Government benefit realization, In Proc. of the 5th International Conference Internet Technologies & Society. p47-58, 2014.
  • 安岡美佳,レーネ・ニールセン,大規模システムのための参加型ペルソナ構築−デンマークの電子政府の事例より, 情報システム学会誌,情報システム学会,第10巻第1号. p.14-30. 2014年9月30日.
  • 安岡美佳, デンマークの電子政府推進体制,行政&情報システム, 行政情報システム研究所, pp.2-8, 2014.
  • 安岡美佳鈴木優美, デンマークの電子政府政策にみる税・社会保障情報の管理と活用『海外社会保障研究』第172号, pp.17-30, 9月刊行, 2010.

著者紹介

安岡美佳

デンマーク・ロスキレ大学准教授/北欧研究所代表/国際大学GLOCOM 客員研究員/JETRO コンサルタント.専門はIT.北欧のデザイン手法(デザインシンキング,ユーザ調査,参加型デザインやデザインゲーム・リビングラボといった共創手法)を用い,ITやIoTなどの先端技術をベースに社会イノベーションを支援するプロジェクトを多数実施.著書に『リビングラボの手引き–実践家の経験から紡ぎ出した「リビングラボを成功に導くコツ」』,『37.5歳のいま思う、生き方、働き方』など.

おすすめの記事