コロナウィルス感染症COVID-19がもたらす変化は,金融業界の構造を根底から変えるインパクトを有する.2020年春の緊急事態宣言の間,生保会社や証券会社は対面の営業を停止した.銀行も営業メニューを縮小して,渉外活動は法人顧客の資金繰り支援にリソースを集中することとした.
 銀行・証券・生保・損保など,我が国の金融機関の企業価値は長らく「営業力」に比例して語られ,どれだけ多くの顧客を獲得できるか,商品を販売できるかが,企業の成長に直結してきた.
 住宅ローンにしろ,生命保険にしろ,およそ個人向けの金融サービスというものは,人々の生活に密接している.比較的格差が少ない所得や金融資産,同質の生活様式や倫理観を有すると言われる我が国を主たる市場とする商売の性質上,特定の優位性のある市場を囲いこみ,守り抜くことは不可能といってよい.また,金融システムの維持や利用者保護の観点から,商品の許認可などで監督官庁は厳正な管理監督を行い,業界は伝統的にこれを遵守してきた.したがって,「元本が確保されながら,市場よりも遥かに高い金利がつく預金」「損失補填される証券投資サービス」など,“画期的な”商品が開発される余地も極めて小さく,商品・サービスそのものの提供内容やコスト構造はほぼ似通っている.さらに,概して金融商品は法律や税金と関連して複雑なため,顧客のニーズに応え,顧客の支持を得て,営業実績を伸ばしていくには,人を介した対面型のセールスが最適であった.この時代の金融営業パーソンは例外なく「商品でなく,自分を売り込め」と指導を受けたものである.
 したがってある時期までは,街中の一等地に店舗を構え,人気俳優やタレントを起用したCMを流し,高い給与水準で有名大学の学生をかき集めて,“優秀な営業網”の構築に心血を注ぐことに一定の合理性があったと言える.
 しかし,長引くデフレ,少子高齢化,超低金利の環境は金融機関,否,金融業界全体の体力を侵食していく.平成のはじめ,20近くあった大手銀行・信託銀行は合併を繰り返し,片手で収まるほどに収斂された.損害保険業界も同様だ.生保業界は集約が進む中で外資系の台頭が目立つようになった.証券業界において大手2社以外は,金融グループの系列下に入った.
 同時に進行していたIT革命によるデジタル化は,金融業界の中でも商品やサービスによって進展が分かれた.最も革新が進んだのは証券業界で,手数料の安さを背景に,個人の現物株取引の過半がネット証券経由に移行したのである.一方で,銀行,生保,損保でもデジタルチャネルを強みに持つ新興勢が続々と登場し,話題をさらっていくが,特定の商品やサービスを手数料の安さでリプレイスするような戦略に留まり,全体としては,まだまだニッチプレイヤーの域を出ていない.すなわち,デフレ下の我が国の金融業界では,低成長や市場の縮小に合わせた効率化や低コスト化は進展したものの,メインの対面営業チャネルの地位が揺らいだことは一度もない.特に大手が強みを持つB2Bの取引ではその傾向が顕著であった.

 

 人々の生活に金融サービスは不可欠のものであるが,コロナ禍の下では顧客や従業員の健康リスクを比較衡量すれば,対面の新規営業の優先度は劣後するという判断がなされた.COVID-19に限らず,治療法の確立されていない未知の感染症リスクが人々の間で意識される時代において,今後,人によって行われる対面営業は相当程度縮小していくことは想像に難くない.
 一方で,チャネルが対面から非対面への移行するなかで課題となるのが,“目で見て,触ることのできない”金融商品・サービス特有の適合性やニーズの潜在性である.
 例えば,「つみたてNISA」は低コストの商品設計で税制優遇もある投資サービスで,多くの人の長期の資産形成,人生設計に資すると思われる.しかしながら,月に1万円あれば趣味のために消費するか,貯蓄をするかしか選択肢を持たなかった多くの人にとって,信頼のおける誰かに勧められない限り「つみたてNISA」は縁遠いままだ.本来的には,営業パーソンがセールスの現場で,この制度のメリットや資産形成における長期分散投資の優位性を説くことで,多くの人に加入を動機づけるべきところであるが,商品設計上は収益性が極めて低く,この先,対面チャネルの商品としての位置づけは難しい.デジタルチャネルだけでは,多くの人にとって,遠い将来のことは「不要不急」とされて,残念ながら,普及が進まないことも予想される.

 

 これまでは,顧客の情報をキャッチして,適した商品を売り込むのが営業パーソンの腕の見せ所だったわけだが,それはもう叶わない.COVID-19以降は,個人向けの金融サービスは,顧客データの利活用を通じて,ライフイベントやライフスタイルに密着した「as a Service」化していくのが一つの方向ではないか.
 賃貸住宅を借りるときには,家財の補償と家主への賠償責任をセットにした住宅火災保険もセットで加入することが慣例化しているが,礼金・敷金などの次回の更新費用や別の部屋に引っ越し費用に充てられる積立預金も同時にセットされると便利だ.住宅や子供の教育費などは人生でも大きな支出イベントだが,資金を預金で積立て準備する,ローンを借りる,保険でリスクをカバーするなどの機能は,住宅購入や入学手続きと同時に出来れば過不足はなくなる.こうした世界で,営業パーソンはいかなる価値を発揮できるのだろうか.

 平成の初めのバブル崩壊,リーマンショックなど,金融業界は100年に1,2度とも言われる危機を何度も経験してきたが,今般のショックは金融システムそのものよりも,顧客接点の中心である営業体制の前提への脅威という意味で,破壊力がより大きく,より本質的な危機との見方もできよう.
 江戸時代の講や無尽,両替商など我が国固有の金融制度は,明治の開国を期に,西洋の銀行制度や近代的保険制度に姿を変えて日本の経済成長やグローバル化を支えた.「COVID-19以降」はそのインパクトに匹敵する変容を迫っているように思えてならない.

著者紹介

内田 一博

iBankマーケティング株式会社 取締役.
https://www.ibank.co.jp/

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