1.はじめに
本稿は,地域を活性化するために,どのような観光人材育成が求められるかについて検討し,その検討から導きだされる,大学観光教育の課題を明らかにする.
ただし,現今の社会的経済的動向において観光人材の育成が喫緊の課題であるにもかかわらず,現行の大学観光教育で,その教育課程は標準化されていない.観光人材育成の教育課程の編成は,暗中模索の状況にある.
そこで,観光人材育成の検討にあたり,観光による地域活性化において,どのような観光人材が要望されるのかを探るため,まず,「地域活性化の現場」を点検する.また次に,今後の地域活性化で不可避の課題である「持続可能性」が,地域活性化の現場で具現される可能性を探る.それによって,観光人材育成に「持続可能性」を学修主題とすることの意義を確認したい.
以下,第2節では,観光人材を求める地域の活性化の現場について,「観光まちづくり」と「観光地域づくり」という,観光による地域活性化の二つのタイプを概観する.この二つのタイプの地域活性化について,それぞれの特徴が考察される.この考察は,地域活性化において,どのような観光人材が期待されるのかを探索する足場となる.
第3節では,今後の地域活性化の取組みにおいて看過できない,「持続可能な地域社会」の形成という課題に言及する.この「持続可能性」に係る課題に関して,「持続可能な観光」の実践によって「持続可能な地域社会」が具現される可能性が明らかにされる.
そして,第4節は,大学観光教育が,地域活性化の二つのタイプに応じて,それぞれにどのような大学教育課程で観光人材育成を実施しているか,という特徴を探る.
地方の持続可能な活性化と,それを担う観光人材育成は,「高度近代化の危機」と「持続可能な世界の構築」という時代の趨勢に直結する重大な課題だが,その課題の解決について,大学観光教育ではいまだ手探りの状況が続いている.如上の検討から,本稿は,その課題を整理し,課題解決の手がかりを見いだしたい.
2.観光による地域活性化
日本で「地域」振興と「観光」振興の関係が不可分だと社会的に広く認識され始めたのは,1990年代初め頃であった.この頃に「観光まちづくり」事例の高い評価が,口コミで広がり,その後,1990年代後半にメディアで盛んに紹介された.やがて,観光まちづくりは政府主導の地域政策や観光政策に取り込まれ,2015年以降,観光による地域振興は,DMO(Destination Management/Marketing Organization)による「観光地域づくり」が主流となった.この間,「地域」振興と「観光」振興の不可分な関係は,まったく変化していない.
そうした「地域」振興と「観光」振興の関係を軸として,本節では,高度経済成長期以降の日本政府による地域振興政策を跡づけ,「観光まちづくり」と「観光地域づくり」の出現とその後の経緯をみていく.
2.1 戦後の地域振興と地方の時代
政府主導の地域政策は,高度経済成長期から全国総合開発計画(全総)によって,経済成長志向で全国一律に進められた.全総は,1962年の第一次から98年の第五次まで策定され,経済成長によって生じた地域間格差,過疎と過密,東京一極集中,等を是正し,国土の均衡した開発を志向した(本間1992).
この間,1970年代に,地域住民の「むらおこし」や「まちおこし」の地域再生活動が全国各地で散見された.同時期に,地方自治体が「地方分権」政策を主唱し,「地方の時代」を標榜したが,地方分権政策が,むらおこしやまちおこしと連携することはなかった.
しかし,後の1980年代初めに「観光まちづくり」と呼ばれる,地域住民が主導する,観光による地域活性化活動は,この頃,全国各地に出現していた.大分県の一村一品運動(平松1990)は,「むらおこし」や「観光まちづくり」と連携した数少ない事例である(安村2006).
このように,地域と国がせめぎあい,国内外の情勢が多様化するなかで,2008年に国土形成計画(全国計画)が閣議決定された.全国計画には「開発中心主義からの転換」と「国と地方の協働によるビジョンづくり」の改正点が謳われた.2000年以降,政府主導の地域政策に変化はなかったが,政府は地域の個性に着目せざるをえない状況が現れた.
2.2 観光まちづくりの出現
観光まちづくりは,前述(本節2冒頭)のように,1980年前後に開始され,バブル景気が崩壊した直後の1990年代初めに衆目を集めた.ただし,この時に「観光まちづくり」という名称はなかった.「観光まちづくり」の用語は,2002年の観光政策審議会答申の中に初めてみられる(西村2009).
1990年当時,観光まちづくりの原初の成功事例として評価された地域は,小樽,遠野,会津若松,小布施,高山,長浜,出石,内子,湯布院,竹富,等であった.これらの地域振興は,1980年前後から全国各地で,当初は相互に連携もせず,開始されていた.観光まちづくりの仕込みには凡そ十年を要し,「観光まちづくり」の命名までにはさらに十年を経ている.
観光まちづくりの実践が開始された1980年前後は,国際経済が停滞するなかで,日本政府が財政再建と行政改革の推進,地方交付金の抑制,公共事業費の削減,等を履行した時期であり,そのために地域経済は低迷した.また,地方から大都会へ人口が急激に流失し,地方が疲弊した,「地方試練の時代」(平松1990)であった.
その後,1980年代後半,日本社会全体がバブル景気の経済的繁栄に浮かれた社会状況下で,地方分権や地域振興の関心は希薄となった.この時期に都市開発やリゾート開発が推進され,開発地域で地価が高騰し,また都市では,不動産や株式の時価資産価格が急騰した.
しかし,地方の中山間地域では,人口流出と高齢化によって,社会的と自然的な人口減少が急激に進み,やがて「限界集落」が出現した(大野2005).それでも中山間地域の一部には,上述の通り,「観光まちづくり」が,1980年代を通して着実に実践されていた.
こうした「観光まちづくり」の地域の活性化の過程は,次のような三点によって特徴づけられる(安村2006).第一に,地域住民が主体的に取り組み,外部に頼らず自力で実践した地域振興である.第二に,地域の文化や自然を観光対象とする観光振興が,地域振興と結びつけて実践される.第三に,観光振興を通して,地域の文化や自然・生態系を保護し,ときに新たな文化を創造して,さらに地域に循環型経済の仕掛けを創出することで,後述(3.3)のように,「持続可能な地域社会」を構成する可能性を持つ.
2.3 観光まちづくりのその後
かくして,観光まちづくりは「内発的」地域振興の一形態である.それ以前の多くの地域振興は,地方自治体が工場誘致やリゾート開発のように,外部に事業を発注する,「外発的」地域振興であった.それに対して,観光まちづくりは,当初は補助金を当てにせず,住民が外部事業者や,地方自治体の援助もほとんど受けずに取り組まれた.観光まちづくりは,住民の住民による住民のための地域振興であるといえる.
観光まちづくりの成功事例は,中央政府や地方自治体の地域政策にも刺激をもたらし,「地方分権」政策にも影響を与えるようになった.中央政府は,「観光まちづくり」などの成功事例をモデルとして,その成功事例を支援したり,新たな「地域再生」の実践を助成したりする形態で,住民による「地域再生」にも関与した.
このように,観光まちづくりは,地域住民が主体的に取り組み,地域に自然発生的に出現した後に,その実績が地方自治体や中央政府の地域政策に影響を及ぼした.この点で,観光まちづくりは,ボトム-アップ型の地域活性化といえよう.しかし,その後,中央政府は地方の「個性と自立」を謳い,地方が主体的に地域振興案を申請する「手挙げ方式」を採用したが,その実質的な履行は,相変わらずトップ-ダウン型の形態でなされた.
さらに中央政府は,地方自治体の広域化によるその行財政基盤の強化を主目的として,1999年から2010年にかけて「平成の大合併」を推進した(佐々木2002).平成の大合併は,観光まちづくりの地域に再編や分断をもたらし,多くの事例が負の影響を受け,その中には住民のまちづくりへの意欲が失せた事例もある(井上2017).
このように,2010年代の観光まちづくりをみると,従来の活動の定着した状況があるものの,政府の地域振興政策制度等に取り込まれた経緯から,新たな取組は減少した.
2.4 地方創生と観光地域づくり
このように,2000年代には観光まちづくりの動向もみられたが,地域振興は相変わらず政府主導のトップ-ダウン型政策で履行された(安村 2017).2010年代以降,地方分権や地域主権の議論もなされなくなった.
民主党政権は,2009年に誕生すると,「地方分権」を呼び変え「地域主権」改革を重点施策としたが,その施策はほとんど履行されなかった.それでも,同政権は2010年に国から地方自治体への「ひも付き補助金」に代わる「一括交付金」制度を導入した.しかし,その制度も,2012年に成立した自民・公明連立政権によって廃止された.
2012年12月に発足した第二次安倍内閣は,アベノミクスと称される経済成長政策を開始した.安倍内閣が民主党政権に代わって以降,「地方分権」はほとんどメディアで話題とならず,一般的な関心も現時点(2021年)で消え失せている.その後,2014年にローカル・アベノミクスといわれた「地方創生」政策が策定された.2014年9月に設置された「まち・ひと・しごと創生本部」が実施する「地方創生」は,「地方消滅」論(増田2014)と連動して,地域経済の活性化によって,人口減少がもたらす経済の衰退を克服しようとする地域の経済成長政策である.そこには「稼ぐ地域」が標榜された(青木・富山2018).
この間の2000年から2010年代にかけて,2003年の観光立国宣言を契機にインバウンド観光が徐々に拡大し,社会的な注目を集めた.2011年の東日本大震災と原発事故の災禍をへて,インバウンド観光客は急増した.インバウンド観光客は,2013年に1000万人を超え,2015年には2000万人弱となり,2018年には3000万人を超えた.これによって,インバウンド観光は,日本の経済成長に不可欠の事業となった.
インバウンド観光客を全国各地に受け入れる観光地開発が,前述の「地方創生」と連動して,地域振興と観光振興を結び付ける観光庁の政策となった.それが,DMOによる「観光地域づくり」である(大社2018).観光地域づくりは,2011年から急増するインバウンド観光客を全国各地に誘致するため,観光庁が2015年にDMOの登録制度を設定し(韓2021),そのDMOによって履行されている(大社2018).
観光庁によれば,DMOは「地域の『稼ぐ力』を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する『観光地経営』の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として,多様な関係者と協同しながら,明確なコンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに,戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人」である.DMOは,「稼ぐ」観光地づくりとその運営において,マーケティング,KPI(Key Performance indicator 重要業績評価指標),PDCAサイクル等の技法を駆使した科学的アプローチを適用する.DMOは,2015年に観光庁が制度化した.観光地域づくりは,官製の地域活性化といえる.
このような「観光地域づくり」は,ときに「観光まちづくり」と混同されるが,それぞれの出自が異なり,目的や組織が異なるので,結果として,構築される地域の様態も異なると考えられる.観光まちづくり組織の中には,DMOに登録する動向もみられ,今後,両方の地域観光振興にはどのような相違点があり,どのような関連性を有するかが,「持続可能な地域社会」を形成するために検証されなければならない.
2020年のコロナ禍で観光事業が壊滅的な打撃を受けたため,観光地域づくりの成果がいまだ見えにくい.それでも,DMOの登録は,2021年8月5日時点で,広域連携(10件),地域連携(91件),地域DMO(96件)の計197件を数える.DMOの今後の活動と観光地域づくりの成果とが注視される.
3.持続可能な地域振興
「持続可能性sustainability」の理念を考慮することは,いまや地域活性化において不可避である.そもそも,どのような場面にも持続可能性が探求される理由は,人間/自然世界の存続が危ぶまれる事態となったからに他ならない.本稿は,人間/自然世界に危機をもたらす問題を,「持続不可能性問題unsustainability problems」とよぶ.持続不可能性問題は,自然の破壊やグローバルサウス問題を生みだす高度近代化や,その原動力といえる資本主義経済に起因する(安村2017).
当然,地域活性化に携わる観光人材も「持続可能性」の理念を理解しなければならない.そして,その理念を地域活性化に具現しなければならない.
観光は「持続可能な観光」のあり方を模索し,文化観光やエコツーリズムで,観光と地域社会の持続可能性を体現した.本節では,「持続可能な地域社会」の形成に寄与した「持続可能な観光」について概観する.
3.1 持続可能な開発の頓挫と持続可能な開発目標の実践
持続可能な開発の理念は,地球規模の環境問題と南北問題に対処するため,1987年にWCED(1987)によって提唱された.その理念は,1992年のリオ地球サミット(国連環境開発会議)において,世界各国が開発政策で実践する国際的公約となった.
しかし,持続可能な開発の実践は低迷し,目標の達成は頓挫した.その背景には,持続可能な開発の実践を巡る南北国家間の対立や大国の葛藤といった国際的課題があった.2002年,ヨハネスブルク・サミット(持続可能な開発に関する世界サミット)で,リオ地球サミットから十年間の持続可能な開発の実践が検証されたが,全く実践されていない,という結果が報告された.ただし,観光の持続可能な開発では,エコツーリズム等が実績を残したと指摘されている.
爾来,持続可能な開発の実践は低迷をつづけたが,2015年から持続可能な開発目標(SDGs)が国際的取組となり,現在(2021年)に至る.しかし,SDGSの実効性を疑問視する見解もある(斎藤2020).元来,「持続可能な開発」について,持続不可能性問題の根源である「開発」に「持続可能な」を冠する用語自体が自家撞着だとする批判が,当初からあった(ラトゥーシュ2013).しかし,「持続可能性」の研究は,人間/自然世界の存亡を脅かす「持続不可能性問題」が看過しえない状況にあるため,あらゆる学術分野からアプローチされている.
3.2 観光が生みだす持続可能性
観光論と世界観光機関(WTO: World Tourism Organi-zation)[現UNWTO]は,協働して,1987年に持続可能な開発の理念が提唱される以前に,実質的に,「持続可能な観光」と「持続可能な地域社会」の構築を実現していた.観光論は,1960年代に出現し地球規模に拡大した,巨大な社会現象としての観光をマス・ツーリズム(mass tourisms)と捉え,それを研究対象として1970年代初めに形成された.マス・ツーリズムは,当時の先進国の高度近代化による経済的豊かさから生みだされ,高度近代化が生みだした,地球規模の南北問題と環境問題を投影する諸問題を,観光地に引き起こした.それは,特に発展途上国の観光地に顕著となった,伝統文化の変容や衰退,そして自然・生態系の破壊,といった問題であった(Mathieson and Wall 1982).
それらの問題を解決するため,観光論はマス・ツーリズムに代わる,新たなあり方の観光(alternative tourism)を模索し,WTOとともにエコツーリズムやPPT(Pro Poor Tourism)等のような形態で実践した(Smith and Eadington 1992).新たなあり方の観光は,観光によって地域の自然・生態系を保護し,また地域の文化を保護し,ときに新しい文化を創造するような観光形態を実践している.新たなあり方の観光は,後に「持続可能な開発」の用語に倣い,「持続可能な観光」と呼ばれるようになった.
新たなあり方の観光や持続可能な観光は,1980年代初めから,世界観光機関の主導によるトップ-ダウン型開発で実践されたが,同時期に,地域住民が先導する,ボトム-アップ型の持続可能な観光が,先進国の特に中山間地帯などで,自然発生的に出現しはじめた.それらの事例は,当初,コミュニティ型観光開発(Hall and Richards 2000),トランジション・タウン(Hopkins 2008),エコヴィレッジ(Kasper 2008)などと呼ばれた.同時期の日本では,前述の通り,観光まちづくりが各地で実践され始めていた.
3.3 観光まちづくりと持続可能な社会
本稿は,持続可能な開発やSDGsの理念を離れて,「持続可能な観光」や「観光まちづくり」の研究から得られた「持続可能性」や「持続可能な地域社会」の考え方を適用する(Yasumura 2017).
その考え方によれば,高度近代化によって都市化した現代社会では,商品経済が肥大化して,個人のあらゆる欲求や欲望は商品として入手できるようになった.その結果として,地域住民の相互扶助は消失し,地域住民の協働で獲得してきた地域社会の様態は,商品売買の市場に置き換わった.そうした商品市場としての都市社会の構図は,図1のようにイメージされる(Yasumura 2017).
それに対して,観光まちづくりによって形成される「持続可能な地域社会」の構図は,次頁の図2のようにイメージされる(Yasumura 2017).
観光まちづくりは,図2の通り,地域社会を成り立たせる,経済,社会関係,伝統文化,人間生態系,という四つの構成要因の機能を平衡させながら,次のように活性化する(安村2006).
第一に,観光まちづくりは,観光によって地場経済の波及効果を活性化する.そのさい,例えば,観光客が地域内を回遊して消費するような工夫がなされるなど,できるかぎり地域全体に経済的効果の波及するような,また地域内自給が最大限に可能となるような循環型経済モデルが構築されている.
第二に,住民が協働する観光まちづくりでは,その実践について住民が集まり協議する過程で社会関係が深まり,地域の強固な架橋型社会関係資本(bridging social capital)が形成される.対面的サービスの質は,地域の社会関係に基づいて特徴づけられるので,観光まちづくりの事例では,高密度な社会関係によって,訪問者に良質な対面的サービスが提供される.
第三に,観光まちづくりでは,地域の伝統文化が重要な観光対象となるので,住民はそれらを地域の大切な資産として保護したり,ときに再発見したり,さらには伝統にもとづいて新たな地域文化を創造したりする.
そして第四に,観光まちづくりでは,地域の自然・生態系,とくに人間と自然が共生する人間生態系の風景等が,伝統・文化と並んで重要な観光資源となるので,住民はそれらを地域の大切な資産として保護する.
このような観光まちづくりの方策は,農山漁村の地域で効力を発揮するが,高度近代化に抗う根本的な変革を伴うため,地方都市の活性化に適用されることは難しい.しかし,その方策は,地域の活性化のあり方にさまざまな手がかりをもたらすと考えられる.
4.地域活性化のための観光人材育成
観光による地域の活性化についての如上の検討を踏まえ,大学観光教育は,それに関連する観光人材育成をどのように行うべきかを考える.以下では,大学観光教育の現状を概観したうえで,地域の活性化に関わる観光人材教育の課題を明らかにする.
4.1 大学観光教育と観光人材育成
観光論は,1970年代初めに米国で,前述のように,マス・ツーリズムという重大な社会現象の出現を契機に,社会現象としての観光にアプローチする研究として形成された(安村1996).そして,そうした学術系観光学の教育課程も,1970年代から,人類学,地理学,社会学,等の社会科学に基づいて編成された(Murphy 1981).
ただし,米国の観光系大学教育において,Hotel Management SchoolやTourism Policy School等のような,観光関連の大学教育は,Medical SchoolやLaw Schoolと同様に,マネジメント科目に基づく専門職業教育課程として編成されている(Mcintosh 1983).
このように米国の大学教育システムは,大別してリベラルアーツ型の学術系大学と専門職業教育系大学とに明確に分かれるため,米国と日本の大学観光教育を,学術系と実務系とで,一概に比較することはできない.日本の大学教育システムでは,従来,医学部や法学部の教育課程ですら,米国のような専門職業スクール教育課程が採用されず,学術系教育課程に組み入れられてきた.
日本の多くの観光系大学は,観光学術系教育課程の中にいかに実務系科目を位置づけるかに苦心してきた(安村1997).観光系大学の中には,教育課程を従来の学術系教科から実務系教科に改変する動きもあるが(澁谷,他2020),どのような観光人材を育成するかという具体的な教育目標はいまだ確定されていない.
そのような中で,2018年に,「専門職業大学」制度が新設され,その開設される一分野として「観光」学部・学科の設置が奨励されている.この制度は,文科省,内閣府,経産省,財界等の発言力が影響して策定された大学改革によって,設置されている(吉田2009).現在,大学改革の影響は,従来の大学観光教育課程にも,職業・キャリア教育の強化(濵島2010),実習・インターンシップの重視(田中2012),実務家教員の登用促進(吉岡2020),等といった方向性が看取できる.観光系専門職大学では,これらの方向性がその教育課程により強く反映されることになる.
4.2 「稼ぐ」地域の観光人材育成
大学改革の影響を受けた,地域活性化の観光人材育成には,前述(2.3)でみた,DMOによる「観光地域づくり」の実践を担う,「地域経営の専門職観光人材」が想定されている.すなわち,観光地域づくりの主目標は,観光振興によって地域が「稼ぐ力」を身に着けることであり,そのためには,地域の観光客入込数を効果的・効率的に向上させる経営・運営が喫緊の課題となる(青木・富山2019).
そこで,観光地域づくりを主導するDMOには,ブランディングやマーケティングの経営戦略を策定し,KPIやPDCAサイクル等の経営手法を駆使して,科学的な経営・運営による観光・地域振興が,社会的に要請される(大社 2018).
こうした社会的要請を受けて,大学観光教育課程は,観光振興や地域振興を科学的手法で実践する基礎知識や技法,経営学的な管理運営法等の教科や実習等によって編成される.
4.3 観光人材育成としての地域学習
他方で,前述(4.1)のような,観光論の学術的研究で考察された「観光まちづくり」では(2.2),「住民の主体性」と「地域の持続可能性」を重視する地域活性化へのアプローチが適用される.このアプローチでは,科学的・経営学的手法は,論じられても二義的となる.
このような「観光まちづくり」に求められる観光人材は,住民が実践する観光・地域振興を,住民の意向に則して支援するような職務を担う.住民が自身の地域を学習する「地域学習」の支援も,任務となる(鳥羽・織田 2007).その観光人材は,地域の状況を熟知し,持続可能性の理念に基づき,多様な見地から多様な手法で,住民を全面的に住民支援する.
こうした観光人材育成の大学観光教育課程では,従来のように社会学,地理学,人類学,等の教科と,フィールドワーク技法によって地域の状況を捉えたうえで,加えて,住民の観光・地域振興の実践を参与観察で体験するような実習が編成されている(橋本2019).
以上のように,観光人材とその育成は,いくつかの点で対蹠的な二つのタイプとして特徴づけられるが,このことについては,現代社会の行方を展望する際の根本的課題が関わるので,今後,地域活性化と観光人材育成は,大局的見地からの議論が不可避となるであろう.
5.おわりに
観光振興による地域の活性化には,現時点(2021年)で,「観光まちづくり」と「観光地域づくり」という二つのタイプがある.この二つのタイプは,出自も展開の経緯も違うため,地域活性化の方策が異なり,その活性化を担う観光人材育成法も異なる.
一方の「観光まちづくり」には,「地域の持続可能性」を実現する期待が懸けられている.しかし,この住民主体で実践される地域活性化には,組織化やそのガバナンスがときに曖昧となり,特に経営管理の効率性や効果性が課題となる.それでも,観光まちづくりには,地域住民の地域活性化の過程で社会関係資本が形成される事例も多くみられ,経済的効果以外の,定量化しづらい社会的・文化的効果が得られる(安村2017).
他方の「観光地域づくり」は,DMOという,観光地域活性化の「専門職」組織が先導し,地域の住民や事業者と協働して「稼ぐ」地域活性化に取り組む.「観光地域づくり」は,「観光まちづくり」と比較して,その活動は組織的であり,経営管理が科学的アプローチに基づいて効率的・効果的に実践される.そして,観光地域づくりは,経済的効果を重視するが,地域活性化において,地域住民の意向をどこまで汲み取れるかは,現時点(2021年)で未知数である.
この二つのタイプの観光地域活性化を担う人材育成の大学観光教育課程については,それぞれに,観光による地域活性化の実態が調査研究されているが,いまだその編成は模索の状況である.
観光系大学教育の現行の教育課程では,大学改革の影響を受けて,経営学やマーケティングに基づく,観光地域づくりの観光人材育成をめざす方向性がみられる.そうした教育課程においても,「地域住民主体の地域活性化」や「持続可能な地域形成」といった学修テーマを取り入れる課題が看過できない.
地方の活性化と観光人材育成の問題は,持続可能な世界の構築が切望される時代背景において喫緊の課題であるが,その研究と実践は今ようやく緒に就いた状況といえる.
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著者紹介
安村 克己 博士(観光学)
せとうち観光専門職短期大学,教授,学科長
産能短期大学,北海学園北見大学,鈴鹿国際大学,奈良県立大学,追手門学院大学を経て,現職.