「医は特殊」:制度産業としての医療サービス

昨年から今年にかけての新型コロナ危機の下で,サービス産業のうち最もその去就が注目を集め,その革新の必要性が問われてきたのは,(公務サービスを除けば)医療サービスの世界であろう.しかしながら,サービソロジーの分野で医療サービスを真正面から扱ったものは少ない.私の頭には,水流聡子*1の医療品質や臨床プロセスについての精緻な分析や藤村和弘*2の便益遅延性についての先駆的研究ぐらいしか浮かんでこないし,学会誌/Webマガジンのバックナンバーを繰ってみてもめぼしいものが見つからない.

そのような中で,医学書院発行の「病院」という医療経済や医療経営の専門誌に,病院経営に関わる「サービス産業の生産性向上」*3というテーマで小論を寄稿する機会をいただいた.

この寄稿で私が副題として付けたのは,『「医は特殊」と「医は普遍」』というものである.医療サービスを,制度でがんじがらめにされた「特殊」な公的サービスだと考えるのではなく,科学の言葉が通じる「普遍」的なサービスの世界だと考えれば,私の奉ずるサービソロジーを使って医療においても生産性向上やサービスイノベーションの議論ができるのではないか,という問題意識である.

 しかしながら,私は,医療経済の専門家ではないし,医師の前に出ると委縮してしまう生来の性格もあってか,その小論ではきわめて控えめな議論しかできなかった.サービスイノベーションが主役のこの場なら,もう少し思い切った議論ができないかと思い書き始めたところである.

 書き始めてすぐつまずいてしまうのは,そのサービスモデルの特殊性である.医療サービスを制度産業とみて,ニコニコ図をつかってそのサービスモデルを理解しようとすると,医療サービスはサービスイノベーションとは縁遠いものとして,諦めの気持ちが先にたってしまう.提供者を病院とみると,利用者である患者は,国民皆保険制度の下では,どんなに属性が異なっていても,均質な一被保険者ということになる.サービスのコンテンツは,出来高払い・包括払い制度の下,定期的に改定される診療報酬によって,整然と体系化され標準化されている.そして,圧倒的な情報の非対称性の下で,提供者と利用者の間には価値共創にむけた動的な相互作用が起こる余地は限定的であると考えるしかない.つまり,制度産業として医療サービスを見ると,明らかに「医は特殊」である.提供者にとっては,医療行為が多ければ多いほど出来高が高くなり,収入が大きくなる.この提供者の医療サービスのアウトプットの額は、利用者に対する治療のアウトカムと関係付けられている訳ではない。したがって,放置すると利用者の治療に対する事前期待の如何にかかわらず,そのサービスは過剰診療や薬漬け,長期入院といった顧客満足度の低いサービスになってしまう可能性がある.

「医は普遍」: サービスイノベーションの対象となる医療サービス

しかしながら 21世紀になって誕生したサービスサイエンス,サービス工学,サービソロジーといった一連のサービスに対する科学的・工学的アプローチの視点にたって医療サービスを見るとすると,医療サービスだからといって特殊なものとは考えない.医療サービスも普遍的な経済行為ととらえ,サービソロジーは,その生産性の抜本的向上(サービスイノベーション)につながる様々な知見を産業界に提供しうるはずであると考える.

図は,価値共創のサービスモデルを示すニコニコ図を,経営革新の対象となりうる7つの部分(図中青枠)に分けて,医療サービスにおけるサービスイノベーションの可能性について考察しようとするものである.真剣にサービスイノベーションを起こそうとするサービス事業者は,一気にサービスモデル全体を変えようとするのではなく,必ず,その一部に着目して突破口を開こうとするはずだからである.

では,実際に医療関係のサービス産業が,どのように「医は特殊」であるはずの医療サービスの分野でサービスイノベーションに挑戦しているかを見てみよう.その事例を求めるのは,2016年から実施している,過去3回の日本サービス大賞受賞企業からである.これまで日本サービス大賞は,79件の日本のサービスイノベーションのベストプラクティスとなるものを,内閣総理大臣賞をはじめとする10の賞で表彰してきたが,その中には3件の医療サービス関係の事例がある.

第1は,顧客接点における「顧客満足を事前期待に繋げる」ことを企図する埼玉県の川越胃腸病院の事例である.いくら制度でがんじがらめにされていても,その制約の中で顧客満足度を高める活動は,できないわけではない.この病院では,患者満足度の把握を一元管理する医療サービス対応事務局という専門の組織を設け,様々な患者の声に対して,病院内における組織横断的な徹底的対応を行っている.その対応の過程や結果を患者に丁寧にフィードバックすることによって,患者のこの病院に対する事前期待を向上させているのである.

第2は,ムラカミロジー(2)でも紹介した,日本サービス大賞の審査員が唯一特別賞を出した「AI問診ユビー」の医療ベンチャー企業Ubieである.これは,病院という事業組織において「提供価値共創の仕組みを創り込む」事例である.Ubieでは,5万本の論文や専門的知見をもとに,医師の問診にかかる知識・ノウハウをAI活用によって体系化し,タブレットに実装することによって,病院で所在ない無駄な待ち時間を過ごす患者に事前に答えてもらい,それによって医師の問診時間を約1/3削減し,医師が患者の目をみて診察できる時間を創出しようとしている.AIのシステム自体が,価値共創の仕組みとなることによって,制度でがんじがらめの病院と患者の間にたって奮闘する医師を,AIの標準的な問診プロセスの見立てと自身の見立ての間の相互作用による問診の質の向上と,電子カルテへの問診結果の自然言語での自動記述による時間節約で支援しようとするものである.

第3は,企業経営全体に関わる付加価値共創の事例で,地域コミュニティとの共創によって,「資源投入の最適化」で生産性を向上させている石川県の恵寿総合病院である.病院経営に本格的に電子カルテを導入することによって,病院と地域の介護施設が患者情報を共有できる体制をいち早く確立し,地域におけるヘルスケアサービスのワンストップ化を実現することによって患者満足度を上げている事例である.診察・入院・投薬記録から,介護サービスの履歴や診察・検診の予約まで,患者一人ひとりの情報を一元管理して,病院と介護施設が患者本位の医療・介護を提供できる.制度に縛られた病院と,同じく制度に縛られた介護施設を,ICTで繋ぐことによって,双方にサービスイノベーションをもたらしているのである.

価値共創のサービスモデルでサービスイノベーションを

このように,「医は特殊」として制度産業の(おそらくは居心地の良い)くびきの中に止まってしまうのでなく,「医は普遍」と考えて科学的・工学的アプローチの荒波に漕ぎ出せば,医療サービスにもサービスイノベーションは可能である.

ただ,ここで注意が必要なのは,これらのサービスイノベーションは,いずれも「医は特殊」という現行の規制や制度の枠組みを前提としたものであることである.

今回の新型コロナ危機が白日のもとにさらしたのは,OECDトップの病床数をほこる日本の医療サービスシステムが,これ以上ない医療の緊急事態であるにもかかわらず,一年たっても重症者向けの病床数を十分増加させることができず,適切な医療サービスを受けられずに亡くなっていく新型コロナ患者を多数出してしまったという現実である.この状況を革新するためには,「医は特殊」とする制度自体の持つサービスモデルを,根本から変革するアプローチが必要であろう.サービソロジーは,それを支援することができるかもしれないが,変革自体は,行政からか,医療組織からか,はたまた医師や政治からかは分からないが,「医は特殊」とされる医療サービスの内側から生み出すしかないであろう.

また,価値共創のサービスモデルでみると,まだ医療のサービスイノベーションはほんの一部でしか起こっていない.サービソロジーサイドからの貢献もまだいくらでも出てきそうである.

このような医療サービスについての考察は,ニコニコ図の価値共創のサービスモデルを用いれば,サービスイノベーションの余地のないようなサービス分野にも,サービスイノベーションをもたらす糸口を開く可能性を示唆するものとなっている.サービス産業の生産性向上に特化し,サービスイノベーションへの科学的・工学的アプローチを重視する,日本で(世界でも?)唯一の産官学連携のプラットフォームである,サービス産業生産性協議会では,現在,スマート・サービスイノベーション研究会を組成して,この可能性について掘り下げた検討を進めている.この秋にはその成果を出版する予定である.進捗については折にふれて,このムラカミロジーでも紹介していきたい.

著者紹介

村上 輝康
産業戦略研究所代表.元野村総合研究所理事長. サービス学会顧問.サービス産業生産性協議会幹事・第3回日本サービス大賞委員会委員長.情報学博士(京都大学).


  1. 水流聡子, 飯塚悦功, 棟近雅彦 (2015). 組織で保証する医療の質 QMSアプローチ, 学研メディカル秀潤堂.
  2. 藤村和弘 (2020). 「便益遅延性」が顧客満足・顧客参加に及ぼす影響, 千倉書房.
  3. 村上輝康 (2021). サービス産業の生産性向上―「医は特殊」と「医は普遍」, 病院, 80(5), 医学書院.
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