はじめに
コロナ禍や少子高齢化といった急激な環境の変化を迎える日本において,地方の地域開発および地域経営の捉え方はどのように変化するのか,本特集「地方の活性化」では,今後の日本に求められる地方における地域開発・地域経営の特徴などを取り上げる.
本稿では,地方における地域開発や地域経営といった地域づくりの実践者に対して,今後の日本において,どのような地方における新しい地域開発や地域経営が求められるようになるのか,その方向性の発展のための課題としてはどのようなものがあるのか,といった点に関して,サービス学の観点からインタビューを行った内容を紹介する(本インタビューは2023年1月25日にリモートでのオンラインインタビューの形で実施された).
地域づくりに関わられることになった背景およびこれまでの取り組み
増田 福武總一郎様は,これまでベネッセアートサイト直島を起点とした,瀬戸内海の自然とアートに基づく地域づくりや,瀬戸内国際芸術祭といった広域のアートフェスティバルの活動に取り組まれております.福武様がこういった地域づくりに関わられるようになった背景について教えてください.
福武 もともと私の父親の,直島に子供達のキャンプ場を作りたいという構想がありました.ただその途中,1986年ですけども,父親が急逝して,その後,父親のその構想を受け継ぐべく私が直島に子供達のキャンプ場を作るところから始まったんですね.そこが直島との出会いといいましょうか,きっかけです.その時は,まだベネッセアートサイト直島を作るというようなことではなかった.
地域づくりを意識するようになったのは,一つには,あの辺りは備讃瀬戸といって,日本で最初の国立公園なんですが,ただ直島に製錬所があって亜硫酸ガスが出て環境に影響を与えたとか,犬島も銅の製錬所があった,豊島は産業廃棄物の不法投棄という,そういうことで非常にダメージを受けていた.それに対して,これはどうにかしないと駄目だ,という,そういうところからスタートしたというところでしょうか.キャンプ場を作ることになり,現地に何度も行くようになって,他の島々を見る.そういった体験からそういうことを考えるようになった,というところですね.
増田 地域づくりは,現地を何度も訪問される中での体験から出てきた今まで考えていなかった観点だったのでしょうか.
福武 地域づくりのための本を読んだとか,そういったことは全くありません.現地に行って,島の人々の話を聞いて,いろんな状況を見て,そこでいろんなことを感じて….言ってみれば,そのような状況を作った社会に対するレジスタンスとでもいいましょうか.今申し上げたように国立公園の第一号の場所に,そんなひどいことをやっているということになると,やはりとんでもないことだという気持ちになるのが普通だろうと思うんです.それが,私もそういう気持ちになったというだけのことです.
増田 福武様が実際に自らそこの問題解決に取り組んでみようという,そこの一歩を踏み出させたものは何かありましたか.
福武 その気持ちがちょっと強かっただけじゃないでしょうか.大抵のことはそうですよね.何かをやるっていうのは,行動するっていうのは,背景とか原因があると思うんですけども,それをどうやって行動に起こすか.要するに,文句で終わるか,行動を起こすか,その差だと思います.
地域づくりの実践においてうまくいった点・いかなかった点
増田 直島を起点とした地域の課題解決に取り組まれていく中で,いろいろな実践をされてきたと思います.その中で,うまく展開ができた点,失敗してしまった点などのご経験はありますか.
福武 難しかったとか,そういう記憶はあまりないですね.少しずつ,少しずつやってきましたから.できる範囲でやってきたというところでしょうか.最初から世界的なものをやりたいということはあったんですけども,会社の事業計画のようなものがきっちりあった訳じゃありません.直島にしょっちゅう行くことによって,だんだん構想が広がってきて,一歩一歩実現していったということでしょうか.我々の会社で買った土地の範囲内で最初やっていましたから.だからそこは自分たちの土地,買い求めた土地の中で,その範囲でできることをやってきたということですね.
増田 近年は瀬戸内国際芸術祭という大きなイベントにまでそのアート活動を展開されています.ご自身の会社だけでやられていた段階から,周りを巻き込んだ芸術祭のような,大きなイベントまで拡大していった過程は,その最初の一歩一歩の積み重ねの延長線上で,どんどん広がっていったということでしょうか.
福武 最初は,直島,犬島,豊島で,我々のアートによる地域再生活動をやって,それなりにうまくいったので,それを他の島々にも広げていきたいということで広域のイベントとして広がっていきました.瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)は最初は7つの島と高松港周辺でやって,次に12の島まで広げていったんです.他の島々の方から是非やってくれというような,そういう声もありました.
瀬戸芸に先行していたのが,新潟でやっている大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレです.私も大地の芸術祭を見て,大変素晴らしい広域のアートイベントだった.私が大地の芸術祭の第4回(2009年開催)の総合プロデューサーになって,そこでいろいろ勉強させてもらいました.そして総合ディレクターの北川フラムさんにお願いをして,瀬戸内海の島々をアートによって元気にしたいので手伝ってもらいたいということで,瀬戸芸をスタートしたんですね.
増田 それは他の島々の方からのご依頼に応えるための広域のイベントのやり方のようなことをいろいろと探索されていた時代があったということでしょうか.
福武 そうですね.あとは香川県の県庁の若手の人たちが同じような構想を持っていたので,そういう面ではやりやすかったんだと思います.2005年あたりからそういった動きがありました.
地域づくりにおける地域のコミュニティとの連携について
増田 まず初めは会社が所有した土地での展開という話がありましたが,最初の段階での地域の島の方々とのコミュニケーションはどのようなものでした.
福武 その当時の直島町長の三宅親連さんという人が,我々が直島でこのような活動をするということに,ウエルカムというか是非にということで迎え入れていただいたというのがあって,それがやはり一番大きいですよね.もちろん島の人への我々の考えやその構想の説明会,また議会でもお話しをしました.あとは,最初にベネッセハウスというホテル兼美術館(1992年開業)ができましたけれども,そういったところでの雇用に関しては,島の人を積極的に採用したということもあります.
増田 直島でうまく活動を立ち上げられたということですが,周りの他の島への展開についてはどのようなものでしたか.
福武 豊島は,直島がうまくいってるんだからと,最初から良い形でスタートできました.犬島も,町民の人からできるだけ早くやってくれというような要望もありました.そういう面では,直島が先行して,その成功事例が,他の島にも影響を与えていったと思いますね.我々の活動も,直島や,他の島にも少しずつ理解をしていただいてきたということでしょうか.
増田 芸術祭では,より広域で連携して取り組んでいく形まで広がりましたが,もともと小豆島等は独自の展開もあったと思うのですが,そのあたりの島々との関係についてはどうでしょうか.
福武 最初は7つの島で芸術祭をやりました.直島,犬島,豊島以外の4島でやる場合は,その島に行って,説明会とか,地域住民の方々とお話をさせていただき,そこでいろいろなコミュニケーションができたり,理解をしていただくような説明をしました.言ってみれば,そこの自治体が積極的に協力的であったということです.県や参加する島の首長あたりも積極的に参加したいということから,それぞれの島や地域が積極的に関わってくれてうまく行ったということでしょうか.ただ我々の財団が直接関わっているのは,直島,犬島,豊島の3島だけでして,他の島の活動は瀬戸内国際芸術祭実行委員会がやっています.我々がやっている島は通年関わっているわけですけど,そうじゃない島は3年に1度のアートフェスティバルになります.そこに当然違いも出てきます.
地域外からの訪問者と地域との関係性について
増田 芸術祭のような広域のイベントをやることで,この地域の外からの訪問者が,より多くこの瀬戸内の島々に訪れるようになりました.こういった訪問者の方に対してはどういうお考えでしょうか.
福武 それは特にありませんね.瀬戸内海の自然とアート.そういったものの非日常性みたいなものを感じられるのは,若い人とそうじゃない人,都会の人と田舎の人,日本人と外国人で,やっぱりそれぞれ違うと思うんですよね.だから,我々がどうこうという考えはあまり持っていません.来られる方々が,それぞれに感じていただいて,そこでいろんな思いを馳せていただいたらいいと思ってますから.今回の瀬戸芸の第5回(2022年開催)はコロナ禍で,お越しになられる方が少なかったんですけど,それまでの各回は来られる方も増えています.皆さん,喜んでいただいているんじゃないかなと思っていますけどね.
増田 地域に住まわれている島の人々がいますが,外からの訪問者が地域のコミュニティに与えている影響に関してはどういうお考えでしょうか.
福武 外から来られた訪問者の方が島の人々の生活を乱すような事があっては困る訳です.そういった点は,我々もパンフレットとかそういったところでの注意喚起もきっちりしていますし,島の人にできるだけ迷惑のかからないような注意はしているつもりです.困ってしまうこととしてよくあるのは,訪問者の方が興味本位で敷地の中に黙って入ってしまうとかですね.ただ,多くの人が来すぎて困るということはあんまりないですね.陸地でやっている芸術祭とは違って,ここは船便ですから.やっぱり運ぶ人には自ずと制限というか限りがあるわけなんです.車でどんどん自由に来て,大勢の人が来て,渋滞になるとか,そういうことではありません.
増田 京都だと,祇園,花見小路通あたりでも,勝手に観光客の方が民家の扉を開けて中に入ってくるみたいなことがあるというお話を聞いたことがあります.そういう観光のマナー喚起というのは,やはり積極的に発信していかないといけないということでしょうか.
福武 もちろんパンフレット等でマナー喚起はしています.ただもう一つは,東京や京都,奈良といった観光地に来る人と,わざわざ船に乗って島に来て,アートをみられる人っていうのは,ちょっと違うと思います.島を訪れる訪問者は,質がよいというか,それなりにマナーはわきまえている方が多いように思いますけどね.やはり目的が明確になっている方が多いと思います.
新型コロナウイルス(COVID-19)が与えた影響について
増田 新型コロナウイルス(COVID-19)の観点では,どういった影響がありましたか.
福武 コロナ対策は,今回の第5回の瀬戸芸の実施で一番神経質になったところです.島ですから医療の施設も整っていません.そういう患者さんが出た場合に運ぶとなっても,内地に比べて全然整っていませんから.そういう点では,検温や消毒とか,その辺はもう本当に厳しく行ないました.その結果,クラスターの発生とか,大きな流行というのは起こることはなかったですね.それでほっとはしていますけれど.ただ申し上げたように,相当厳しくやりました.検温もして,ちゃんと問題ない人にはバンドを手に付けてもらってとかですね.そういったことを徹底して行いました.
増田 島々でのアートの取り組みに関しては,コロナ禍の影響はどうでしたか.
福武 海外のアーティストが島に来て作品を作るというようなことができなかった,できにくかったということはもちろんあります.しかし,そういったことはある程度乗り越えてきた,ということでしょうか.例えば,リモートで海外とこちらを繋いで,こちらのボランティアの人が一緒にリモートで繋がりながら作品を作っていったとか,そういったこともいくつかありました.そういう新しいノウハウというようなものもできたかなとは思っています.ただ今後も,アーティストの方にはできるだけ実際に来ていただいた方がよいですが,やむを得ない場合にはそういうリモートの形も取れるかもしれません.
増田 観光やホスピタリティ関連ではコロナ禍でSNSに力を入れているところの話も聞きます.SNSの活用については,どういういう取り組みをされてきましたか.
福武 もちろんそういったことも積極的にやっています.我々の芸術祭は体感していただくのが一番ですから,SNSで情報を見て,来ていただくということが一番ですよね.SNSがそういうきっかけになるというようなことはあったんだろうと思います.ただ我々の事務局がいろいろと発信をしたことも多少は効果はあるんでしょうけど,やはり来られた方からの,どこがよかった,どうだったというSNSでの発信が一番効果的なんじゃないでしょうか.来られた方が,どんどんSNSで発信をされて,それが相乗効果になっている点もあったんだろうと思います.
増田 訪問者の方にSNSで発信してもらうための仕組みという点では何か取り組みはありますか.
福武 今の若い人は,そういった映りの良い場所を自分で考えて,どんどんSNSで発信されています.我々が考えるとやはり….その辺りは訪問者の方が良く考えて独自に発信されていますよね.
コロナ禍での地域住民とのコミュニケーション
増田 コロナ禍での地元の方々とのコミュニケーションというところではどのように進められたのでしょうか.
福武 島の人々も,今回の第5回の芸術祭では,いつもの回よりは来訪者の方とのコミュニケーションの密度が低かったと思います.これはもう当然で,今回の場合は仕方がないことだと思っています.我々の方も,島民の方に積極的に訪問者とコミュニケーションをしてくれとはとても言えませんから.コロナの観点は島民の方が一番心配されていました.そこは我々も島民の方々の気持ちを十分に汲み取って,最新の注意を図りながらやってきたという所ですね.このようなコロナ対策の方針は,瀬戸芸の実行委員会が中心になって,説明会の場で何度も説明してきましたし,そういったことを参加された島々で徹底して行いました.
今後の日本における地方での地域づくりの取り組みについて
増田 日本の地方の地域づくり,地域の活性化は様々な地域で取り組まれています.こういった地域づくりの活動はソーシャルインパクト(社会に与える変化や便益といった成果)の観点からも注目されています.今後の日本における地方の地域づくりの在り方についてはどうお考えでしょうか.
福武 日本での地方の地域づくりは非常に難しいですね.これはなぜかというと,まず1点目は民主主義だからです.地方都市は中心市街地がどんどん空洞化しています.これは当然で,民主主義の結果なんですね.日本の地方都市の,中心市街地の市会議員は一人いるかいないかです.三十数人の市会議員がいて,たった一人いるかいないか.それが全国の地方都市です.当然,そこに問題があっても大きな声にはなりにくい.次に2点目として,首長が変わればその方針も変わるように,日本は,日本の国も含めて中期計画・長期計画が作れない国ですね.それから3点目は,日本の地域づくりの場合,建物とか景観,あるいは,賑わいとか,そういった表面的なことが中心による地域づくりが多いことです.住民の幸せを考える地域づくりというのは非常に少ないと思います.そこの住民の幸せをどう考えるかということを真剣に考えた上での地域づくりです.日本の地域づくりでは,景観とかハードが先に来ていて,その順番が逆になっているように思います.これはもうデベロッパーが中心でやっているから,そうならざるを得ないのでしょうけれども.また4点目として,教育や福祉,医療が重要だ,あるいは子育てが重要だということは言っていても,そのことを住民の人に理解してもらうための活動が必ずしも十分じゃないことです.日本という国そのものが,そういったことに関心の無い国だと思っています.そういう点で,私は日本の地方の地域づくり,日本の地方の活性化は非常に難しいと思います.
地方の活性化で観光という観点がありますが,観光地化するためには,多くは外部の資本が来てそれをやるんですよね.だから,お金が地元に落ちない.儲けも殆ど,地域の外部に,外に出ちゃうという,そういうことが多いんじゃないでしょうか.だから,できるだけ地元の地域の人たちを中心にやっていくということが重要なんじゃないでしょうか.
日本の地方の地域づくりにおける課題
増田 日本の地域活性化において,外部から来てやってもらうことが多くなっていて,地元の人たちが自分たちの地域でいろいろな活動ができていないという課題はどう捉えたらよいのでしょうか.
福武 地域として,あまり勉強をしていないということではないでしょうか.先行事例をもっともっと見学に行くとか,海外に行って見てみるとか,その研究をするとか.あまり多くはないでしょうけれども良い事例がある.そういった事例をもっともっと積極的に学ぶということも必要なんじゃないでしょうか.
ただ学んでもですね,現実的には先ほど申し上げたように地方自治は民主主義の大原則ですから.そういった場合に,強力な旗振りの人がいないと….それも,地域づくりはやはり何十年もかかるわけですよね.そういった旗振りの存在が何十年もぶれずにやっていけるかどうかということも,もう一つ大きな問題でしょうね.
地方の地域づくりを推進する人材育成
増田 地方の地域づくりにおける旗振り役のリーダーシップを発揮できる人材や,地元の中で事業を起こせるような人達をどうやって育てていくのか,という観点で,もしお考えがありましたら共有ください.
福武 それは分かりません.それはもう地域の住民の方の意識の問題だと思います.ただ,大きな地域でやるというのはなかなか難しいですよね.うまくいっている事例の多くは,あまり大きくない場所での取り組みです.そういった大きくない場所での活動において,それなりの人が出てきて,だんだん地域の人を巻き込んでいくという,そういう形にはなるのではないでしょうか.
増田 やはりサイズの小さい範囲でいろいろな活動をしてもらって,その中から芽が出てきたものを大きくする,いわゆるベンチャーの育成みたいな観点があり得る….
福武 そうですね.やはり成功しているところの事例をいろいろお調べになったらいいんじゃないでしょうか.地方の地域づくりの場合,引っ張っていく存在となる人や組織が,どれほど継続的に強力にやっていけるかということが,やはりそこに尽きると思うんですね.もちろんそこには資金力も必要でしょう.そういったことが成功しているところには必ずあると思うので,そういったところを皆さん方の学会で調べられたらいいんじゃないでしょうか.
公益資本主義という考え方
増田 福武様は,その地域づくりの取り組みに基づいて,公益資本主義というお考えを提案されていますが,この観点についてご説明いただけないでしょうか.
福武 富を創造するのは企業活動しかない訳ですね.その富を,どう地域の困りごとに使うかということが,今,問われています.そこは今の資本主義そのものを多少モディファイしないとなかなか難しい.そこで,株式会社の株式の一部を公益法人に拠出するというようなやり方で,その公益法人が地域の振興とか地域の困りごとに貢献するようなことをもっともっとやったらどうですか,ということを提案しているんです(図1).企業ももっと社会の抱えている問題や課題を解決するための活動をすべきだという点で,それを税金だけでやるのではなくて,公益資本主義という,私のいうやり方でやったらどうですかということを言っています.これは決して難しいことではないです.株主の三分の二が賛成して,第三者割り当てをして,そこの公益法人に株式を出せば,できないことはないので.そういったことを企業がやるかどうか,だと思います.
直島メソッドによる世界展開
西中 瀬戸芸は汎用的な事例として世界的にも認知されています.今後の,世界的な展開のお考えをお伺いできましたら幸いです.
福武 我々が直島でやっているアートによる過疎の地域を再生するという方法は,直島メソッドと呼ばれています.この直島メソッドが海外に通用するかどうか,ということでは,2017年から中国の山東省で既に取り組んでいます.それは大変うまくいっていますね.これは,非常に貧しい村,そこの村出身の篤志家の方から,直島のようにアートを使って良い島にしてもらいたい,という申し出がありました.海外で直島メソッドが通用するかどうか,私もそういう気持ちがあったので,そのアートによる農村再生のプロジェクトに取り組みました.農村振興として集団農業を導入し,2022年のデータでは,2017年の始めた時から農民の平均収入は5.4倍に増え,村全体の収入は24倍に増えました.中国では大変評判になっている事例,モデルですね.
西中 これから新しくどこかの地域で直島メソッドを展開されるお考えですか.
福武 いえ,もう今は考えていません.ただ中国で,そのモデルを広げていったらいいなということは思っています.この中国の事例の場合も,地域の出身者の方が非常に強い情熱を持っていて,何度も直島にも来られています.そして資金もある.そういった方がリーダーシップを持ってやっています.私はそのアドバイザーという形です.やはり現地のそういった強いリーダーシップ,資金力のあるリーダーシップは大事だと思いますね.
西中 長期に渡るリーダーシップが重要だということですね.
福武 そうですね.
著者紹介
福武 總一郎
福武財団 名誉理事長,ベネッセホールディングス名誉顧問,瀬戸内国際芸術祭 総合プロデューサー.香川県・直島,豊島,岡山県・犬島を自然とアートで活性化するプロジェクト(ベネッセアートサイト直島)を30年以上にわたって指揮.
増田 央
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科准教授.博士(経済学).京都大学大学院修了後,北陸先端科学技術大学院大学,京都大学を経て,現職.情報技術活用の観点での経営学,マーケティング,観光,サービス工学に関する研究に従事.
西中 美和
香川大学大学院地域マネジメント研究科教授.博士(知識科学).北陸先端科学技術大学院大学修了後,北陸先端大,総合研究大学院大学を経て現職.関係性の観点での地域経営戦略,知識経営,観光地マネジメントの研究に従事.