はじめに

2022年11月,「京料理」が登録無形文化財に登録される見通しとなった.登録無形文化財とは,2021年の改正文化財保護法で新設された制度であり,従来の文化財保護法では国による「指定」のカテゴリーしか存在しなかったものを,「登録」制を設け,基準と規制をやや緩やかなものにすることにより,柔軟で幅広い文化財の保存・活用を行なっていくものである.その対象は「重要無形文化財に指定されていない無形文化財のうち,その文化財としての価値に鑑み保存及び活用のための措置が特に必要とされるもの」(文化庁, 2022)と規定されている.
以下,議論の前提を共有するために,登録無形文化財としての京料理の概要を記す(京都府, 2022)
京料理は,京都の地で育まれてきた調理・しつらい・接遇・食を通じた「京都らしさ」の表現で,その技の担い手は,総合コーディネーター(主人),料理人,女将・仲居の三者です.主人は献立の作成やしつらいなどサービス全体を統括して客をもてなし,料理人は京料理に特有の食材・技術も交え調理を行い,女将・仲居は接遇を通じて文化的意味を客に提供しています.京料理は,日本の生活文化に係る歴史上の意義と芸術上の高い価値を有する,食文化の代表です.
この文言のなかでまず注目すべきは,京料理が,<京都の地で育まれてきた調理・しつらい・接遇・食を通じた「京都らしさ」の表現>と規定されており,したがって,料理そのものの味やその調理法に閉じた定義ではないということである.京料理は,<「京都らしさ」の表現>という文化的要素に置き換えることができ,したがって京料理の価値とは,文化的な価値でもあるといえる.2013年の「和食;日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産登録以降,食の文化としての和食への注目が高まり,またその食の「文化」をもたらした中心地の一つとしての京都の地にも光が当てられてきたわけだが,文化庁の京都移転を目前にしたこのタイミングで,京料理は登録無形文化財としての地位を得る見込みとなった.
しかし,状況は楽観を許さない.コロナ禍以降,労働集約型産業のあり方が世に問われ,人間労働の一部がDX化により情報通信技術に代替されるなかで,飲食サービス業自体が一つの曲がり角に立たされているといえる.「世界一のレストラン」として有名なコペンハーゲンのNomaが2024年内の通常営業終了を発表するというニュースも,衝撃をもって受け止められた.京料理についても,これを支える農林水産資源,水資源,人的資源などの持続性が問われ,外食産業の中で生き残る道が模索されている.
もちろん飲食サービス業の範囲は,飲食店での外食に限られるわけではない.外食率(全国の食料・飲料支出額のうち,外食市場規模が占める割合)の伸びが頭打ちになる一方で,中食の市場規模は拡大していっている.いわゆる「外食の中食化」が進み,フードデリバリーサービスなどが台頭している.京料理の提供店の中にも,いわゆる仕出しを行なっている企業が多く,また弁当を卸す,惣菜を売るなど,さまざまな形で中食事業が展開されている.だが,冒頭の引用が示すように,京料理の技が「調理・しつらい・接遇・食」の統合に宿るとすれば,中食が届けるのはその半分(調理・食)に限定されるのであり,やはり京料理の真価は,実店舗で客をもてなし,料理を提供する中で発揮されるものと考えることができよう.
以上のような状況の下で,いかにして京料理の価値を保っていくか.本稿は,西陣織で名高い西陣の地で1937年の創業から80余年の歴史を刻んできた「京料理萬重」の田村圭吾氏に実施したインタビューの内容を,両名で記事として再構成し,この点に迫るものである.

京料理の価値とその保存

京料理は,<京都の地で育まれてきた調理・しつらい・接遇・食を通じた「京都らしさ」の表現>を実店舗においてさまざまに実装する形で提供される.

「わかりやすいのは桃の節句です.この時期は料理の演出に雛飾りを使いますが,雛祭りの日本での起源を辿っていけば平安京の宮中の遊びに求めることができます.京料理は季節感や季節ごとの催事を重要視して,それを京都の文化として体現しています.」(田村)

この,<京都の地で育まれてきた調理・しつらい・接遇・食を通じた「京都らしさ」の表現>の実装は,誰か一人が行うのではなく,多様なアクター(行為者)の組織的協働によりなされる.

「料理人に加えて仲居さんや女将さんの接客.さらに,それらをコーディネートする我々主人など.この三者がいます.ただしこの場合のコーディネーターは,一般的な経営者と完全には重なりません.コーディネーターはいわば総合プロデューサーです.今日はどういうしつらえにしよう,席はどういうお席なのか,お祝いのお席なのか宴会なのか接待なのか.それだけでも料理,絵やお軸,お花などの方法が変わってきます.これらを総合的にプロデュースする仕事は京料理の提供にとってとても重要なものです.もちろん,店の規模や経営方針によって,プロデュースするものの中でどの要素を重視するかは変わってくるでしょう.料理がメインのお店もありますし,お庭を作り込んでいるようなお店もあります.」(田村)

ここで述べられている総合プロデュースの業務は,いわゆるサービス・マーケティングの7Pにおけるサービスの諸要素(人間,提供過程,物的証拠)の組織的な,あるいは統合的なコーディネートと言い換えることができようが,この舵取りを行う役割の人間が置かれている,という点が興味深い.この役割は,登録無形文化財としての京料理の概要に記載されるように店の主人が担う場合もあるし,そうでないこともある.

「ご主人は料理を担当し,外回りのサービスやプロデュースは女将さんがやっているという分業の場合もあります.分業の仕方はお店により異なります.」(田村)

こうした機微がいかにして仔細に作り込まれているか,そのメカニズムを解明することはそれ自体重要な研究課題であろう.しかしここでは,まずは京料理の文化的価値が,<「京都らしさ」の表現>を実現するための組織的なコーディネートの実践に宿るということを確認するにとどめておく.
さて,<「京都らしさ」の表現>の文化的価値を継承し守る,あるいは保存するとは,どういうことか.このことを考えるには,少し時代を遡る必要がある.

「いまから20年ほど前に瓢亭の髙橋英一氏と熊倉功夫先生が海外視察を行った際に,日本料理の看板を掲げつつも東アジア料理をひろく出していたり,和のコンセプトに沿っていなかったりといった店舗を多く見かけ,その状態を改善するためもあって2004年に日本料理アカデミーが設立されました.」(田村)

ようするに当時,海外において普及が進む日本料理の,日本料理としての真正性(本物らしさ)(authenticity)が問われたのである.たしかに海外の日本食レストランを訪れると,日本の資本が入っていないであろうと思しき店に遭遇することがある.

「イメージとしては我々が子どもの頃,洋食といえばスパゲッティでもビフテキでもエスカルゴでもなんでも洋食とまとめて認識していたように,日本料理店といっていても餃子やラーメンなど東アジア料理の総称体として日本料理が扱われているところが多く,中にはパクチーが入ったものまで日本の料理として売られているような状態がありました.」(田村)

このような店に遭遇した場合,日本の文化に慣れ親しんでいればその日本食レストランの真正性を疑うだろうし,なかなかそこに文化的価値を見出そうとはしないだろうけれど,現地の人びとにとってその疑わしさは自明ではないだろう.だから,何か手を打たないと,日本料理や和食の名を借りてはいるもののその中身を異にするビジネスが,日本料理としての文化的価値を備えたものとして普及していくことになりかねない.
もちろん文化的価値の真正性とは,常に相対的な存在である.何か確たる定義と判定基準を備えた真正な日本料理や和食がどこかに実在して,それとの差分で真正でない存在が認識されるというよりは,真正であろうとすることや,あるいは真正と異なるものと距離をとろうとする,その運動自体に真正性は宿る.その意味で,日本料理や和食,また京料理を定義し,その価値を保とうとするその動きの中にこそ,真正性は存在する.
この動きの延長線上に,日本料理や和食の無形文化財としての位置付けと,その保存・保護がある.

「2010年に,フランス料理がユネスコの無形文化遺産に登録されました.その流れでいろいろな人が働きかけ,和食の無形文化遺産登録が2013年に実現しました.これに関連して,2012年に京都府指定無形文化財「京料理・会席料理」の技術保持者として瓢亭の髙橋英一氏が認定されたり,2013年に京都市の「市民が残したい“京都をつなぐ無形文化遺産”制度」の第一号として「京の食文化―大切にしたい心,受け継ぎたい知恵と味―」が選定されたりといったことがありました.そして,これまでは無形文化財については指定制度しかなかった文化財保護法の中に,2021年に登録制度が設けられ,2022年京料理が登録無形文化財として登録されることになりました.」(田村)

以上のように,段階的な動きを経て保存・保護の仕組みが少しずつ整備されてきた.京料理が無形文化財に登録されるには,もちろん,なんらかの独自性や固有性がなければならない.

「京料理のオリジナリティは,料理技術のみならず,文化的な背景や感覚,京都らしさというものを体現できることにあると思います.京都らしさが街中に,町衆の感覚の中に残っていて,みなそれを大事にしている.このことの現れが京料理に結実します.」(田村)

京料理の独自性・固有性とはまさに文化的な<「京都らしさ」の表現>にあるわけだが,上の発言が示すように,<京都らしさ>は何か単一の要素に還元できるものではなく,多種多様な要素が一定のコードに従ってコーディネートされた,有機的なネットワークの中に宿るものである.
そして,京料理の価値を保存するのであれば,その構成要素であるしつらいや設備もまた保存されるのでなければならないが,これは簡単なことではない.たとえば瓢亭では歴史的価値の高い茶室を座敷として使っているのだが,消費者の現代的なニーズにあわせつつも(たとえばエアコンを導入しつつも),茶室自体を維持していく工夫が必要であり,これには大きなコストがかかる.
京料理屋では普段使いから行事・催事まで消費者の多様なニーズに応えるので,広い宴会場,慶事や弔事に使う座敷,小さな個室といった諸々のニーズに対応した大きさ・しつらいの部屋を用意しなければならないし,座敷周りの設備維持にもコストがかかりやすい.

「たとえばテーブル席を座布団に変えるだけでもコストがかかります.お膳も,用途の違いがあるので平膳も脚付き膳も用意しておかなければならない.庭の手入れもしないといけませんし.もちろん,床の間のお軸やお花,絵画などもお客さんの用途や季節によりデザインが変わります.」(田村)

京料理屋のバックヤードを見て回ると,食器やお膳,椅子,机などの多種多様な道具類・什器が大量に用意されていることに気づく.<京都らしさの表現>には,季節や行事・催事,消費者のニーズに合わせた,日単位,客単位でのコーディネートの変化が含まれるのであり,これには一般の飲食店ではなかなか行わないような設備投資が必要になる.
これに加え,サービス面でのコストのかけ方もまた,保存の対象になるだろう.

「安全・安心・衛生もそうです.京料理屋では細心の注意を払っていますが,それに対してお客さんは安心料も含めて,付加価値としてお金を払ってくれている.」(田村)

京料理屋が提供してきた,調理・しつらい・接遇・食に跨る価値を,保存・維持する枠組みが求められている.文化財保存はその一助になるだろうが,もちろんそれだけですべてがカバーされるわけではない.これに加え,マス,たとえば消費者に目を向けた取り組みも行われる必要がある.

京料理の価値共創に向けて

口にあうあわないはあるにせよ,素材の味を引き出す技術の詰まった京料理は,シンプルに美味しい.これはおよそ万人にとっての価値になるだろうが,その一方では,京料理が<「京都らしさ」の表現>であるとすれば,「京都らしさ」を読み解ける人は,京料理をさらに楽しむことができる人だということになる.いわばこれは,京料理の提供者と消費者の価値共創(Vargo & Lusch, 2004)ということができるが,京料理の「京都らしさ」を読み取り,価値共創のアクターとして積極的に貢献していく消費者は,残念ながらその数を減らしている.季節ごとの食材のはしり,旬,名残りを理解している人も,京野菜や川魚などの京都の食材や食品とその調理法に通じている人も,年中行事や催事の仔細に明るい人も,西陣や室町,東山,嵯峨野といった土地の事情に詳しい人も,茶道や華道,能楽や狂言といった芸能・芸術を嗜む人も,いまや珍しくなった.

「永楽や魯山人の器とか,美術館で見るようなものが出てきて,実際触れて満足感を得る人もいるでしょうが,気づかない人は気づかない.」(田村)
「昔はちょっとした自然現象の動きやら四季の移り変わりやらに人は敏感だったのでしょうが,最近はどんどん,そのようなことを感じない人が増えている.」(田村)

その意味で,もし同じ料理を,同じ空間の中で,同じサービスを伴い提供しても,それを昔と同様に味わってもらえるかどうかはわからない.京料理の文化的価値の基盤(の少なくとも一端)は消費者との価値共創にあったのに,その基盤が機能を失いつつある.
ではどうしていったらよいのか.

「学校での食育など若年層への教育活動は行なってきています.お店については,体験していただいて触れていただかないと難しいのですけれど,やっぱり価格の壁もあるのでしょうね.ですが,安くしたからといっていいものでもないでしょうしね.若い人にどう伝えていったらよいのかについては,見せ方,体験の仕方を,研究などを通じてこれから見出していければ.」(田村)

ここで述べられているように,京料理屋における<京都の地で育まれてきた調理・しつらい・接遇・食を通じた「京都らしさ」の表現>は,消費者の体験を通じて価値が生み出されるものなので,体験の機会が重要になる.
<「京都らしさ」の表現>のような実践的な知識を学ぶ際には,座学で学ぶだけでなく,コミュニティとその活動に参画していくことを通じての学習(Lave & Wenger, 1991=1993)のような,周囲の人間との関わりを通じて学びとっていく環境が必要である.以前は,若い人を京料理屋の空間に誘う人びとが地域社会の中に存在し,その人びとがゲートキーパーの役割を担っていた.たとえば家族や親戚の行事で親などが連れてくる,顔の広い上司が誘う,習い事の仲間や先生が紹介する,といった機会が用意されていて,これが若い人にとって京料理屋の原体験になった(もちろん,すべての人にこの機会が用意されていたわけではない).そのような場合,ゲートキーパーとなる人びとはただ京料理屋に案内するだけではなく,その場を存分に楽しむ術を教えてくれるという意味で,京料理の文化的価値を翻訳する役割も担ってきただろう.しかし,そのような仲介者は数を減らしており,若者が京料理屋に接する機会は失われつつある.
時代の遷り変わりにより京料理の「京都らしさ」を読み取ることのできる人の数が減っていく中で,価値共創の担い手を確保するために,消費者に向けた取り組みが行われる必要があるが,これは単純な広告などの価値訴求(Promotion)手段で十分にまかなえるものではなく,教育的な側面を備えるものになるだろう.

おわりに

本稿では,京料理の文化的価値の諸側面に簡単に触れ,この文化的価値を保存・維持していくために,あるいはさらに高めていくためにどんな取り組みが必要かを,「京料理萬重」の田村圭吾氏に実施したインタビューの内容を基に整理した.
現在でも,京料理屋の空間に並々ならぬ興味・関心を抱く人びとが多いのは事実であり,また京料理の無形文化財登録をきっかけに,さらに注目が高まることも予想される.その価値をどう保っていき,次の世代へと伝承していくか.この取り組みを注視していきたい.

参考文献

Lave, J. and E. Wenger. (1991). Situated learning: Legitimate Peripheral Participation, Cambridge: Cambridge University Press.(佐伯胖訳『状況に埋め込まれた学習 : 正統的周辺参加』東京 : 産業図書,1993年)
Vargo, S. L., and Lusch, R. F. (2004). Evolving to a new dominant logic for marketing. Journal of marketing, 68(1), 1-17.
京都府 (2022). 「「京料理」が国の登録無形文化財に登録」(https://www.pref.kyoto.jp/bunsei/news/kyouryouri_20221031.html:2023年9月4日最終閲覧)
文化庁 (2022). 「文化財保護法の一部を改正する法律の概要」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/pdf/93084801_01.pdf:2023年9月4日最終閲覧)

著者紹介

田村 圭吾
創業昭和12年京料理萬重三代目.長年教育観光文化行政に協力し,令和元年文化庁文化交流使として派遣され,世界6カ国に日本食文化を伝える.京料理の登録無形文化財にも携わる.

平本 毅
京都府立大学文学部和食文化学科准教授.博士(社会学).京都大学経営管理大学院特定講師などを経て,2020年より現職.主として接客場面の会話分析研究に従事.

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