はじめに
芸術文化と観光の架橋となるサービス人材の創出を目指して――.このタイトルは,新制度のもと,令和3年4月に新たに開学した芸術文化観光専門職大学(学長・平田オリザ:以下,本学)*1の成果目標の一つである.
日本における専門職大学等の制度は,実践的な職業教育を行う新しい大学制度として,平成31年度から施行された.将来の成長分野を見据え,「質の高い実践的な職業教育を行うことを制度上,明確にした大学の創設」を促進するものである.これにより,「変化に対応して新たなモノやサービスを創造できる“高度な実践力+豊かな想像力”を備えた専門職業人の養成」が企図されている.
本学はこの新たな制度のもと,兵庫県が設置申請し,文部科学大臣より認可された大学である.大学の特徴として,1学部1学科で芸術文化と観光を学ぶ芸術文化・観光学部は全国初であること,そして国公立大学で本格的な演劇やダンスを学べる大学という点が挙げられる.また,国公立の専門職大学としては全国で2番目であり, 前身となる教育機関のない専門職大学としては国公立大学初というのもユニークな点である.設立の目的は,「芸術文化及び観光の双方の視点を生かし,地域に新たな活力を創出する専門職業人を養成するとともに,地域に根差した教育研究活動の推進と地域及び国際社会への貢献を目指す」ことである.
カリキュラム・ポリシーは,芸術文化分野及び観光分野のいずれかの専攻を主とするものの,まさに双方の分野を架橋して学ぶことを最重視している(図1).取得できる学位は,芸術文化学士(専門職)Bachelor of Arts,観光学士(専門職)Bachelor of Tourismである.本稿では,主に著者の専門分野である観光の分野の立場から芸術文化と観光の架橋となるサービス人材について論じてみたい.
芸術文化と観光の架橋
歴史的にみると,人類学や社会学等の分野においては,文化について「純粋な文化」を追求するという側面が強く,観光としての文化は排除されてきた.E.Cohen(1988)は,文化の観光化(商業化)と観光における真正性について言及し,観光業界でも議論になってきた.つまり,芸術文化と観光の架橋についての議論は否定的な文脈が常にあったといえる.その後,太田(1993)のように,「文化の客体化」という概念で否定的な文脈は認めつつも,観光を通した文化とアイデンティティの創造をしていく必要性を説き,否定的であった芸術文化と観光の架橋を肯定的に示した研究もある.
その後,国内の観光分野においては,平成19年に施行された「観光立国推進基本法」における条文では,芸術文化と観光について次のように記された.「観光の振興に寄与する人材の育成を図るため,観光地及び観光産業の国際競争力の強化に関する高等教育の充実,観光事業に従事する者の知識及び能力の向上,地域の固有の文化,歴史等に関する知識の普及の促進等に必要な施策を講ずるものとする」と言及されたものである.その中で,新たな観光分野の開拓のための施策を講じるとし,ニューツーリズムとしての「文化観光」を促進する取組みが始まった.もっとも,当時のわが国における文化観光は観光立国としての国際化の側面が強く「日本の歴史,伝統といった文化的な要素に対する知的欲求を満たすことを目的とする観光である」という伝統分野に限定したものであり,狭義な観光分野として捉えられる側面もあった.
一方,芸術分野においては,平成29年に改正された文化芸術基本法において,明確に芸術文化と観光に関する言及がなされた.この基本理念では,「文化芸術に関する施策の推進にあたっては,文化芸術により生み出される様々な価値を文化芸術の継承,発展及び創造に活用することが重要であることに鑑み,文化芸術の固有の意義と価値を尊重しつつ,観光,まちづくり,国際交流,福祉,教育,産業その他の各関連分野における施策との有機的な連携が図られるよう配慮されなければならない」とされている.
最近では,令和2年,文化観光を推進するための法律「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関連する法律(文化観光推進法)」が成立した.そこでの文化観光の定義は,「有形又は無形の文化的所産その他の文化に関する資源(以下,文化資源)の観覧,文化資源に関する体験活動その他の活動を通じて文化についての理解を深めることを目的とする観光をいう」となった.さらには,図2のようにステークホルダーが明確になった.ここでいう文化観光推進事業者は,観光地域づくり法人(DMO),観光協会,旅行会社等であり,法律に基づく産業の側面でも芸術文化と観光の架橋をする概念ができてきたともいえる状況となった.
芸術文化観光学への挑戦
本学は芸術文化と観光の架橋がミッションであり,既存の大学教育では養成できない人材づくりへの挑戦をはじめた.本学の副学長であり学部長の藤野によれば,「近未来の日本においては,DMOとアーツカウンシル*2を融合した(仮称)アート・ツーリズム・コミッション(ATC)のような先端的機関を創設し担うことのできる(プログラム)ディレクターが必要である.これら芸術文化と観光を融合したエージェントはヨーロッパ各地では定着している」と指摘している.
以上のような背景もあり,本学では,芸術文化と観光との根源的な親和性を,その理念・理論レベルで学ぶこととしている.その上で,芸術文化観光学のミッションを実現するための方法論を習得するという履修の流れになっている(図1).
芸術文化分野では,アートマネジメント概論,パフォーミングアーツ概論,文化施設運営論が三位一体のコア科目であり,アートマネジメントの手法を生かした地域経営(デスティネーション・マネジメント)の理論的基礎ともなる.また,観光分野では,観光事業概論,観光産業マーケティング論,観光サービスマネジメント論などの観光マネジメントなどの専門性を磨きながら,芸術文化分野同様に地域経営(デスティネーション・マネジメント)の視点を養っていく.
これらの科目群を基礎にクロスオーバーさせながら,文化政策論,観光政策論,批評論,文化産業論,企業メセナ論などを学ぶことによって,豊富な知見に基づく美的判断力,経営的センス,リーダーシップを取れるコミュニケーション力など,豊かな人間性に裏付けられた総合的判断力を身に付けることをめざしている.
芸術文化観光学としての理論化は,学内にとどまらず国内外の研究者との共同研究によって進めている.現在,芸術文化観光学のための研究センターの創設を検討しているところだ.また,学内に設置した「地域リサーチ&イノベーションセンター」を通じて地域と共創しながら生きた学問としての深化を図っている.
芸術文化と観光の社会実装への挑戦
芸術文化と観光の架橋は,前述した「(仮称)アート・ツーリズム・コミッション(ATC)」のような先端的機関のほかに,これからの観光地形成には,新しい傾向がみられる.
観光業界は物見遊山の観光からテーマ型の観光へ,団体から個人型に需要がシフトしてきた.さらに,オーバーツーリズムの問題や新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,観光の分散化ととも新たなライフスタイルとしての観光が改めて求められるようになってきた.コロナ禍となって,2020年の訪日外国人旅行者数は412万人と前年比87.1%と激減し,2022年に入った現在でも先行き不透明感が続いている.半面, 近隣地域内での観光(いわゆるマイクロツーリズム)の割合が7%ほど増加(観光庁,2021)するなど,観光に対するあり方そのものに変化が生じている.
こうした中,「1つの地域に滞在し,文化や暮らしを体感しじっくり楽しむ滞在型観光への需要が高まってきている」と指摘されている(観光庁,2021).訪日外国人からも,ゴールデンルート(メジャーで人気のある観光スポットを回る旅行行程)を体験した後の観光として,このような滞在型が求められてきた経緯もある.しかしながら,物見遊山の観光や団体を対象とした需要が観光地を支えてきた経緯もあり,これらの新たな需要に対応できる体制が整っていないのが現状である.
さらには,サービス提供者側には,地域住民も含められるようになってきた.例えば,「農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律」による規制緩和で活性化した「農家民泊」などの動きもあり,農泊地域に589万人/年もの宿泊者を集めるようになってきた(農林水産省,2021).また,観光サービス提供においてボランティアの立場で参加し,生き甲斐の場であったり,健康増進の場として活用する地域住民も見受けられるようになってきた.一方,被提供者側もこうした地域住民との交流を望んでいる側面もある.これら背景を総合的に鑑みると,「提供者と被提供者が共に資源を提供し合い相互作用の中で価値を創造する」という「サービス共創価値」が強く求められる観光サービス分野の必要性が今後も高まっていくと考えられる.
これら滞在型観光はサービス提供者側が一方的にサービスを提供するモデルではなく,被提供者との交流の中で観光するという視点が求められるだろう.ここで,芸術文化と観光の社会実装の事例として,ドイツでの滞在型観光としてのヘルスツーリズムを検証してみたい.ドイツでは法律のもと「健康療養地(Kurort:以下クーアオルト)」を認定して保養地政策を推進してきた.いわば,単なる観光地ではなく,国民の健康保養を担う観光地として取組んでいるというものである.このクーアオルトの一般要求条件には,「クーアオルトの基盤に関する要求」,「通院療養を行うための原則」,「入院療養可能な予防・リハビリ施設があるクーアオルトの課題」,「地方における健康管理の中心地としての役割」,「宿泊,食事,レジャー管理」,「品質保証」,「その他一般的必要要件」などがある.「クーアオルトの基盤に関する要求」には,具体的に文化的な催し物,療養地の安らぐ音楽,様々なスポーツ行事やその他健康増進になる活動を促進していることなどが含まれている.加えて,治療湯治場としての施設構成要件からみていくと,Kurhausなる「保養公会堂」の存在が基本となっている.ここでは滞在する人と地域住民が交流することがコンセプトとなっており,コンサート,演劇などのイベントが実施される.つまり,ドイツにおいての「クーアオルト」は,舞台芸術をコンテンツとした観光が観光地の基本要件になっているというものだ.一連の文化体験のプログラムは,提供者と被提供者の区別がつけにくく,共創を通してプログラムが成立している.こうした体験型の仕組みを成立させるためには芸術文化と観光双方の知見を有する者の存在が必要不可欠であることに加え,サービス価値共創の観点で滞在サービスを創造し,マネジメントすることができる知見も求められる.
翻って,本学が立地する兵庫県豊岡市は海や山,そして温泉等の自然資源に恵まれている.こうした環境がある豊岡市では,「豊岡コミュニティ・ツーリズム推進事業」という枠組みで,「ヘルス&スポーツツーリズム事業」の挑戦をはじめた.運動,栄養,休養を切り口とした滞在型メニューに加え,芸術文化を交えた健康療養地の発想を採り入れた観光の在り方,人材の在り方が検討されているものである(図3).
現在の本取組みは,ワーケーション&ブレジャー*3,アウトドア&スポーツ,リトリート&ビューティといった滞在プログラム別のプロジェクトチームにわけて議論を進めている.最終的に全てのプログラムを融合するとともに, 前述したドイツの健康療養地のような滞在の仕組みや再来訪を促す仕組みを構築していくことを目指している.このような目標感でサービスをサービス提供者と議論していった結果,芸術文化による相互交流によるリアル体験やナイトタイムの過ごした方をも含めた次代の観光地づくりが視野に入ってきた.
なお,日本国内においては,秋田県仙北市にある劇場と温泉を融合した「あきた芸術村」のような施設が存在するほか,群馬県草津町の「草津国際音楽祭(草津国際音楽アカデミー&フェスティヴァル)」のようなイベント展開としての事例はある.この音楽祭は草津温泉での滞在を主要な目的とした音楽祭であり,音大生のためのマスタークラスと世界的演奏家によるコンサートが長年続いている.鹿児島県霧島市の「霧島国際音楽祭」も同じタイプの取組みがなされ,定着している.こうした事例においても,提供者と被提供者の相互作用の中でサービスを創り上げていることが確認できる.
しかしながら,観光地全体として面的,且つ常設的に芸術文化と観光を架橋した観光地の例は国内にはまだ殆どみられない.
サービス人材の創出に向けて
本学での学びを通じて育成したサービス人材の活躍の場としては,以下のような業種・業界を想定している.
<芸術文化>
・劇団,芸能プロダクション,テレビ局,メディア産業,イベント企画会社など
・劇場・文化ホール等の文化施設,芸術文化団体,NPOなど
<観光>
・DMO,観光振興コンサルタント,商工会議所
・旅行会社,航空会社,鉄道・バス会社,ホテル・旅館,レジャーサービス業など
<共通>
・国,地方自治体
・観光・文化関係ベンチャー企業,一般企業(イベント・企画開発部門等)など
ただ,前述の芸術文化と観光で新たに求められる「(仮称)アート・ツーリズム・コミッション(ATC)」や本格的な健康療養地の構築にあたっては,明確に芸術文化と観光の双方の素養を有するサービス人材が必須となろう.こうした現在にない分野を創出できる人材の輩出も想定している.一方,サービス人材という観点で観光産業をみると,他の先進国と比較して労働生産性の低さが指摘されている.国内の製造業や他の非製造業と比較しても低い.これらは資本労働比率の低さに加え,資本蓄積やIT資本投資,労働の質の停滞によるものであるとの分析もある(深尾,金,権2019).確かに,ホテル・旅館など単独事業者単位に限定すれば,資本力に依拠した観点でしか議論できない.しかしながら,これからは資本力に依存せずとも芸術文化と観光を架橋した滞在型観光のサービスを地域で構築することで,高付加価値型の観光産業を生み出すことができるかもしれない.社会が変化し,観光客の需要が地域との交流にシフトするとともに,法律によって芸術文化と観光を架橋する素地が整いつつあるからだ.それゆえ,本学が芸術文化観光学という学問体系を創り,美的判断力,経営的センス,リーダーシップを取れるコミュニケーション力を活かしたユニークな人材を輩出することは社会的使命でもある.そうした人材は,双方の分野を横断的に俯瞰し,新たなサービスを生み出していく可能性を秘めている.予測不可能な時代だからこそ,この挑戦を,芸術文化と観光の架橋となって実現していきたい.
参考文献
太田好信(1993).「文化の客体化-観光をとおした文化とアイデンティティの創造-」民俗学研究57(4),383-410.
観光庁(2021).「令和3年版観光白書について」https://www.mlit.go.jp/common/001408385.pdf 2021年12月24日アクセス
国土交通省(2010).「観光立国推進基本法」https://www.mlit.go.jp/common/000058547.pdf 2021年12月24日アクセス
古関信行,アンゲラ・シュー(2012).「クアオルト入門 気候療法・気候性地形療法入門~ドイツから学ぶ温泉地再生のまちづくり~」書肆犀
兵庫県企画県民部(2020).「芸術文化観光専門職大学の設置認可について」 https://web.pref.hyogo.lg.jp/governor/documents/g_kaiken201028_01_1.pdf 2021年12月23日アクセス
深尾京司,金 榮愨,権 赫旭(2019).「観光産業の生産性」日本労働研究雑誌,708,17-30.
文化庁(2021).「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律の概要」https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/bunkakanko/pdf/92199401_01.pdf 2021年12月24日アクセス
文部科学省(2019).「専門職大学・専門職短期大学・専門職学科」 https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/senmon/index_.pc.htm 2021年12月23日アクセス
文部科学省(2019).「専門職大学等の制度化」 https://www.mext.go.jp/content/20210331-mxt_senmon01-100001385_01.pdf 2021年12月23日アクセス
宮本佳範(2009).「“持続可能な観光”の要件に関する考察-その概念形成における二つの流れを踏まえて-」東邦学誌,38(2),11-22.
Erik Cohen (1988). Authenticity and commoditization in Tourism, Annals of Tourism Research, 15 (3), 371-386.
著者紹介
髙橋伸佳
兵庫県公立大学法人芸術文化観光専門職大学芸術文化・観光学部准教授.スポーツ健康科学,経営学を基礎学問とし,ヘルスケア,スポーツなどを通じた着地型観光や健康なまちづくりの研究と社会活動に取組んでいる.
日本ヘルスツーリズム振興機構業務執行担当理事,日本観光経営学会理事など組織経営のほか,観光庁「新たな旅のスタイル促進事業」アドバイザー,観光庁「世界に誇る観光地を形成するためのDMO体制整備事業」外部専門人材,都市再生機構「URまちづくり支援専門家制度」まちづくり支援専門家などの公職を務める.
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脚注
- *1 兵庫県公立大学法人が運営.兵庫県北部の兵庫県豊岡市にキャンパスがある.
- *2 芸術文化に対する助成を基軸に,政府と一定の距離を保ちながら,文化政策の執行を行う専門機関
- *3 Business(ビジネス)とLeisure(レジャー)を組み合わせた造語