マスクやトイレットペーパーはどの店で買えるのか.感染者が発生した店や企業はどこなのか.コロナウイルス感染症COVID-19が広まるなかで,消費者は情報収集を行い,自分や家族の生活を守ろうとしている.しかし,インターネット上には不正確な情報と正確な情報が混在して氾濫し,人々が惑わされる状態が起きている.こうした状態をWHOはインフォデミックと呼び,警鐘を鳴らしている.なお,インフォデミックとはinformation(情報)とepidemic(伝染病)を組み合わせた造語である.本稿ではなぜこのようなインフォデミックが起きるのか,インフォデミックが発生する外部環境と,情報を受発信する消費者のインサイトの観点から検討していきたい.
過去20年に起きた感染症の世界的大流行としては,2003年のSARSと,2009年の新型インフルエンザが挙げられる.しかし,当時はインフォデミックという言葉はまだ存在していなかった.2003年のSARS流行当時,日本のインターネットの普及率は約60%であった.当時はツイッターもフェイスブックもまだ登場していない.また,インターネットを利用する主な端末はPCであった.
2009年には新型インフルエンザが猛威を振るった.2009年の時点で,2006年にサービスが開始したツイッターは3歳であり,2008年に開始したフェイスブックはまだ本格的に普及していない.また,iPhoneが日本で発売されたのは2008年,Android端末が発売されたのは翌2009年のことである.つまり,2009年当時は,一握りのイノベーターがスマートフォンを用い,登場して間もないソーシャルメディアで情報の受発信を行っていたのである.
COVID-19が世界を揺るがしている2020年現在,日本のインターネット普及率は80%を超えている.誰もがインターネットを利用できるということは,高リテラシーのユーザーだけでなく,ITリテラシーやメディアリテラシーが低いユーザーも,インターネットを利用しているということである.また,インターネットの利用端末は,スマートフォンがPCを抜いた.現在のインターネット利用者は,キーボードやマウスが不要な,常時携帯される端末を使って,敷居の低い情報受発信メディアで投稿することができる.しかも消費者が自らコンテンツを生み出さなくても,リツイートやシェアだけで情報を発信することが可能である.インフォデミックが発生する外部環境としての情報技術関連サービスの状況が,SARSや新型インフルエンザ流行時の状況とは大きく異なることが明らかであろう.
次に,情報を受発信する消費者のインサイトについて検討したい.投稿にはボットによる自動ツイートのような機械的に発生するものもあるが,ここでは人,特に市井の人がなぜ情報を拡散するのかについて検討したい.Milkman and Berger (2014)*1は先行研究を分析した結果,情報発信の心理的要因として自己高揚と社会的絆の強化の二つを挙げている.自己高揚のための情報発信とは,簡単に言うと自分をよりよく見せるための情報発信である.自分をよりよく見せるために,人は驚きがある情報や,人の関心を引きそうな情報,人を楽しませるコンテンツ,人に役立つ有益な情報を投稿する.また,エモーショナルな情報の共有は,情報の受け手との関係を深めるという.
有益な情報や,面白い情報を投稿して,自分をよく見せたい,人の役に立ちたい,という感情や,泣ける,笑える,怒りを共有して,他者との絆を強めたい,という感情自体には悪意はない.しかし,複雑なのはたとえば有益な情報を拡散しようという善意が,かえって社会に混乱を引き起こすこともあるという点である.
2020年2月末に起こったトイレットペーパーについてのツイッター上の書き込みと,それに起因するトイレットペーパーの買い占めは,実はデマの打ち消しツイートの拡散と同時に広がったことが東京大学鳥海不二夫准教授らの分析*2から明らかになっている.つまり,トイレットペーパーが品薄になるというデマ自体は拡散せず,実はデマを打ち消すためのつぶやきが拡散し,つぶやきを見た人々は買い占めに走ってしまったということである.
次に,インフォデミックが,インフルエンサーによる投稿の影響かどうかを考えてみたい,『スモールワールド・ネットワーク ―世界を知るための新科学的思考法』,『偶然の科学』といった著書を持つダンカン・ワッツは,インタビューのなかで情報の伝播を山火事に例えている.そして,山火事が大惨事になるかどうかは,何日雨が降らなかったか,その日の風の強さはどうだったかなどの環境に依存し,誰が最初にマッチを擦ったかは関係ない,としている.そして,大規模な伝播はインフルエンサーによるものではなく,簡単に影響される人の数がクリティカル・マスを超えたときに起こる,と論じている.
現在のインフォデミックの状況は,何日も雨が降らなかった後の大風の日,山火事が起こっているのと似ているかもしれない.いま,人々は自宅で過ごしており,オンライン利用時間が通常より長い.結果的にソーシャルメディアのタイムラインを眺める時間も増えていると考えられる.そのうえ,人々は不安を抱え,我慢を強いられている.こうした人々が,オンラインで玉石混交の情報に触れ,情報を拡散させているのである.
では,インフォデミックに対して,我々はどのように対応すればよいのだろうか.COVID-19拡散防止のためには,自分が感染者だと思って行動せよ,というメッセージが政府や自治体から繰り返し発信されている.インフォデミックも同様で,自分がインフォデミックに加担しうることを自覚し,安易な投稿やリツイートは行わないことが拡散防止となる.
また,情報の受け手としては,オンライン上で見聞きした情報を,鵜呑みにしないことも重要である.まずは一次情報をあたり,疑問を感じたら複数の情報源を調べる.もし海外の情報であれば,可能であれば英語の原文で読む,といった努力が有効である.COVID-19から身を守るためにマスクの着用や手洗いが有効なように,インフォデミックの感染から身を守るためにはメディアリテラシーを高めることが重要なのである.
著者紹介
山本 晶
慶應義塾大学大学院経営管理研究科准教授.東京大学大学院経済学研究科修士課程修了.2004年同大学院博士課程修了.博士(経済学).東京大学大学院助手,成蹊大学経済学部専任講師および准教授を経て,2014年4月より現職.
脚注
- *1 Milkman, K. L., and Berger, J.(2014). The science of sharing and the sharing of science. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 111:13642-13649
- *2 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57686970V00C20A4SHA000/