感染症拡大の理解の難しさ
感染症の広がり方は,指数関数で特徴づけられる典型的な非線形現象であることから,なかなか直感的に理解するのが難しい.さらに,感染の広がりは時間遅れや空間的広がり,人々の行動の特性など,多数の要因を考慮しなければならないため,全体像を直感的に把握することがより難しくなる.このため,式の読み方やグラフの解釈で議論百出し,混乱や不信が広がっているようにも見える.
本コラムでは,少しでも感染症流行の理解の一助となることを願い,人の移動と流行の関係についての簡単なシミュレーションを使って考察していきたい.
具体的な議論の題材としては, Covid-19対策で現在要請されている空間移動に関する要請のうち,旅行や帰省等の都道府県を超えての移動を控えて欲しい,というものを取り上げてみたい.直感的には,県を跨ぐ遠距離の移動を許すと拡散が加速するようにも思えるが,一方で,遠距離の移動があっても結局出会う人の数は変わらないので,感染拡大としては同じではないか,という考え方もあり得る.そのどちらが妥当かを,シミュレーションで確認していく.
人の移動を取り入れた感染シミュレーションモデル
県を超えての移動を,ここでは簡単化して,本拠地を移してしまうこととみなす.人々の日頃の行動は,自宅などの本拠地を中心として比較的狭い地域に限定されていることが多い.一方,県を超えた帰省や旅行は,一時的にしろ本拠地を移すこととみなせる.この,本拠地の移動の自粛あるいは容認がどれくらい感染拡大と関係あるかを,シミュレーションを使って示していきたい. 感染シミュレーションを構成するにあたり,モデルとしては,できるだけシンプルに保つため, SIRと呼ばれる感染モデルをベースに構成した. SIRモデルというのは,簡単に言えば,未感染者が感染者と偶然遭遇し,それによって一定割合(確率)で感染が広がり,またすでに感染した者はある一定割合で治癒していく,そして,治癒した人は免疫を獲得して二度と感染しない,ということを,数値的な式で表したものである.このSIRモデルをもとに,活性化状態と時間遅れ,エージェント(人)の空間移動と感染距離の考え方を取り入れたモデルを以下のように構成する.
- 各エージェントの感染状態は,未感染・感染・活性化・治癒の経過を辿る.活性化とは感染者がウィルスを撒き散らして他に感染を広げられる状態をさす.
- 1日の単位を100サイクル,総サイクル数は10,000(100日分)とする.これは,5分を1サイクル,人が1日約8時間ずつ移動しながら活動するとして, 100サイクルを1日に割り当てている.
- 感染距離 δ =0.3 : エージェント同士がこれ以下に接近した場合に,感染が生じる.これは,大雑把に言って, 1日(=100サイクル)の間に約3人と濃厚接触するとみなす距離である.
- 感染確率 β = 0.15 : 活性化した感染者と未感染者が感染距離内にいる時に, 1サイクル内で未感染者が感染してしまう確率.
- 治癒確率 γ = 0.001 感染者が1サイクル内で治癒する確率.これは,感染者のうち半分は7日以内に治ることに相当する.
- 感染活性化遅延 τ=100 サイクル : 感染してから,他の未感染者に感染を広げられる状態(活性化状態)になるまでの時間遅れ.ここではだいたい1日遅れると想定している.
- 初期感染者数 Iο=10:全人口の1%.
また,エージェントの空間移動については,以下のようなモデルとしている.
- 地図は,100 × 100 の広さを持ち,端はトーラス状に繋がっているとする.この大きさは,以下で述べる1日の行動範囲の距離にして50倍に対応する.関東平野くらいのイメージである.トーラス状とは,パックマンのゲームの画面のように,地図の右端と左端が繋がっており,さらに,上端と下端が繋がっている状態のことをいう.地図(エージェントが移動できる広がり)に端があると,その近辺でどうしてもシミュレーションが歪になってしまう.トーラス上の地図は,その端の影響を解消するために,シミュレーション研究などでよく用いられるテクニックである.
- エージェント総数は1,000.
- 各エージェントは,毎サイクル,標準偏差 0.2 の正規分布に従うステップのランダムウォークで移動する.ただし,100サイクル(1日)ごとに,エージェントは各々の本拠地に戻される.本拠地の場所は最初に一様ランダムに決められる.
- 各エージェントの本拠地は,100サイクルごとに,ある確率(遠距離移動確率)でランダムに変更する.今回の考察の都道府県を超えた移動のつもりであるが,ジャンプの先は距離に関係なくランダムに選んでいる.これは,出張や旅行なら,関東平野ぐらいの範囲であれば,距離に依存せずどの県にも偏りなく行くだろうということを想定している.
なお,上記で述べている各数値設定の解釈は,理解しやすさのためのいささか強引なアナロジーとなっている.実際の数値の選定では,結果が分かりやすくなるように調整している面もある.
都道府県を跨ぐ移動の影響の大きさ
以上のような設定でシミュレーションを実施した結果を図1に示す.各グラフは,感染者数の各サイクルにおける変化をプロットしており,横軸がサイクル(時間),縦軸が感染者数 (感染し,まだ治癒していない者の数)である.各線は,同一条件でシミュレーションを30回行った,その各試行に対応している.
まず遠距離移動確率が0.00(図 1-(a)) を見てみると,一部感染が拡大している場合はあるものの,殆どの試行で最大感染者数は50以下に抑えられ,大半の試行ではほぼ30以下で推移していることがわかる.また,5,000サイクル以降は沈静化の方向に向かう場合が多い.
遠距離移動確率が0.01(図 1-(b)) を見てみると, (a)と比べて,最大感染者が50を超えてくる試行がかなり増え,また,流行の最盛期の期間も長くなっていることが見て取れる.その傾向は,(c)〜(e)で遠距離移動確率が大きくなっていくに従い強くなっていく.感染者数が増えるということは,それに比例して医療機関での治療を必要とする患者の数が増えることを意味し,医療機関の負担が増すことになる.また,最盛期の期間が長いということは,それだけ長期にわたって医療機関への負荷が長引くことに繋がる.医療崩壊が危惧される状況では,できるだけさけるべき事態である.
各シミュレーションの感染の空間的分布を見ると,感染の沈静化の構造がわかってくる. 図 2は,遠距離移動確率が(a) 0.00 の場合と (b) 0.08の場合の,シミュレーションの最終段階(10,000サイクル)のエージェントの位置と感染状態を示している.この中で,緑色が未感染,橙色・赤色が感染・活性,紺色が治癒状態を示している.
このうち,(a)では,感染者は消滅し,左上・左下など一部の領域で治癒状態のエージェント(紺色)が固まっている他は未感染(緑色)のままとなっている.つまり,感染はまだら状に局所的には広まるものの,移動が近接的に限定されていれば,その拡大は収まりやすいことを示している.
一方,(b)では,大多数が治癒状態に達しており,このために感染が広がりようがないことを示している.これは,まだら状で広がっていた感染が,遠距離の移動により飛び火してしまい,全体にまんべんなく広がってしまったためである. 図 1の(d)(e)などで 5,000サイクル以降に感染者数が減少し,最終的に沈静化しているように見えるのも,大半のエージェントが感染・治癒し,感染が広がりようがなくなっている状態,つまり社会的免疫状態に達していることを示している.
図 2-(a)にもどると,遠距離移動を行わずに沈静化した状態は社会的免疫には達していない.このため,新たに感染者が入ってきた場合,再度感染拡大が始まることも起こり得る状態ではあることから,外来者の管理が重要になってくる.
(a)→jump prob. =0.00 | (b)→jump prob. =0.08 |
根拠のある冷静な対処に向けて
本コラムでは, Covid-19対策のうち,都道府県を超える移動の制約の効果を,シミュレーションにより示してみた.結論としては,やはり,遠距離の移動制約はかなりの効果が見込めるということである.特に,遠距離移動を行うエージェントがほんの数%であっても,感染の広がりに大きく寄与してしまうことが示されている.自分だけなら,という言い訳が通用しないと考えるべきであろう.
もちろん,今回のシミュレーションはシンプル過ぎるという批判はありうる.上記のモデルでは,大都市部などにおける遠距離通勤などは考慮していない.また,感染して症状が現れたら移動を控えるといった要素も取り入れていない.シミュレーションモデルにそれらの要素を取り入れることはそれほど難しくないが,次で述べるように,この手の現象ではちょっとした確率事象の違いで大きく経過が異なるため,モデルを複雑化すると分析や理解が難しくなる.これは,社会現象のシミュレーションでは必ずつきまとう問題である.
今回示したグラフでは,あえて,シミュレーションの結果を統計処理せず,個々の経過を直接プロットしている.これは,今回のようなシンプルなモデルを用いても,その経過にかなりのばらつきがあることを理解していただきたかったからである.実際の現象も,このグラフのように大きなばらつきを持つプロセスの,ある1つの経過である.さらに,全状況の正確なデータが計算機上にあるシミュレーションと異なり,実際の現象は部分的な状況をノイズの混じったデータとしてしか把握できない.そのような実データと,統計処理された滑らかなグラフで示されるモデルの傾向だけを見ていると,どうしてもデータに振り回されて合う・合わないばかりを議論してしまいがちである.実際には,図 1に示したようなばらつきがあるのが本質であり,その中で現実がどの位置にいる可能性があるのかを見ていくことが大事になってくる.
いずれにしても,非線形な現象である感染症の蔓延は,なかなか直感では理解・納得しにくいものである.そのなかで効果的な対処の実施や建設的な批判のためにも,シミュレーションを始めとする科学的な根拠をベースとした冷静な議論や検討が行われることを願いたい.
著者紹介
野田五十樹
産業技術総合研究所人工知能研究センター総括研究主幹.株式会社未来シェア取締役.
1992年,京都大学大学院工学研究科修了後,電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)に入所.博士(工学).1994年よりロボカップの創立メンバーとして,シミュレーションリーグの立ち上げを行う.2014〜17年にロボカップ国際委員会プレジデント.2000年より防災情報システムの国家プロジェクトに参
画し,防災情報システム,災害シミュレーション,避難シミュレーションに取り組み,現在も各種社会シミュレーションの研究を展開している.2002年よりオンデマンド型公共交通のシミュレーションを開始,その研究の成果を元に2012年より実証実験を開始し,その社会実装を目指して,2016年,未来シェア
設立.
研究分野はマルチエージェント社会シミュレーション,機械学習,減災情報システム.