企業経営を25年ほど,大学教員を20年ほどやってきている.1990年代の半ばに創業した会社では,もともとオフィスで働くことを「是」としてこなかった.ベンチャー企業ということもあり「ひと・もの・金」の制約の中で知恵を絞った結果,創業当初から「いろいろな場所で働く」人が沢山いる会社になった.これを私は「ノマドワーク」と呼んだ.会社での活動も大学での研究もインターネットが軸だったため,オフィスで研究もし,研究室で仕事もした.もちろんインターネットが携帯電話を通して接続可能な時代になれば,電車の中や旅行先でも仕事と研究ができる.結果,私は今,長野県白馬村という特別指定豪雪地帯の山の中に住みながら経営や授業,研究をしている.しかしこのことは私や私の会社の社員にとっては25年前から極々当たり前のことだった.

コロナ禍において「テレワーク」が強制的に社会導入された.しかし「テレワーク」と「ノマドワーク」は全く違う.テレワークは自宅で仕事をすることを強要する.ノマドワークはどこでも働ける概念だ.理解を促すために私は,前者を「場所主義」,後者を「脱場所主義」と呼んでいる.これまで場所主義にまったく価値を見出せずに,社会から外れて脱場所主義を実践してきた私たちにとって,今回の出来事でテレワークとノマドワークが混同されていることに忸怩たる思いもある.

しかし,テレワークとノマドワークの共通点もある.それはインフラだ.ノマドワークを実現するためのインフラとテレワークを実現するためのインフラはほぼイコールである.インフラというのは,何もデバイスを含む通信環境だけではなく,それに対応した労使契約やその他のルールなども含む.

具体的には,ノートPCにはじまり,モバイルルーターや自宅のプリンターやスキャナー問題などのハードウェアにかかる準備,ネット回線やセキュリティー,各種ソフトウェアのクラウドサービス化などのソフトウェアにかかる準備,そして勤怠管理や労使契約,評価制度や社員教育などのルール作りの準備,この3点である.

ハードウェアは買えば終わりだから一番簡単だ.ソフトウェアもハードウェアほど簡単ではないが,業務のクラウド化(狭義のDX:Digital Transformation)は次に簡単な経営判断である.一番難しいのがルール作りだ.

私が経営する会社は当初からノマドワークを実践していたので,苦労もミニマムだったが,十数年前にオフィスを解約して全員を完全ノマドワーク体制にしたとき,それなりに大変だった.例えば「自宅で仕事をする際の光熱費やネットの費用はどうするのか」という社員からの問題提起が,だいたいまず最初に立ち上がる.本来は経費精算をしたいところだが,日常生活もしている環境の場合,それとの分離はなかなか難しい.そこで「ノマド手当て」なるものを作り,一人当たり月に2万円一律の手当てを支給した.オフィスの経費が浮いているので,算数としては問題がない範囲である(細かく言うと,これは所得になってしまうため,税務を考えると,経費化するのに比べて効率が悪い).

次に来るのが勤怠管理である.「ブラック企業」という言葉を国が使いはじめたころから,これまでになく当局からの勤怠管理への指導が厳しくなってきた.もちろん労働者を守るという観点では,重要な議論で,これを軽視するつもりは毛頭無い.しかし,基準となる労働基準法は1947年に工場や炭鉱労働者を資本家から守るためにできた法律であるため,「場所」と「時間」による管理を強く要求する.つまり,ノマドワークの理念とは相反するのである.社員のほぼ全員がホワイトワーカーであったとしても,この法律を完全に遵守するのは難しい.したがって,コンプライアンス重視が一丁目一番地となった上場会社においては,内部統制上,こういった働き方は導入しようにも導入できないため,なかなか社会化(Socialized)されないという議論もある.

つまり,ルールについては2つの側面があり,会社の中で任意に労使間で合意する私的ルールと,法律という公的ルールがある.前者は会社の中での議論で解決可能だが,後者は短期的に解決不能である.

また,ノマドワークは従業員を性悪説のもと逐次管理をする企業文化にはまったくあわない.言い換えると,ウォーターフォール型の日本的にマチュアな組織にはノマドワークは向かない.例えば,ウォーターフォール文化の組織でノマドワークの導入をしようとすると多くの場合,セキュリティーの部分でつまずく.とにかく経営者が誰も信用していないため,セキュリティーコストが莫大になってしまい,そもそも採算がとれないばかりか,IT環境が「とても重く」なって仕事どころではなくなる.私は企業へのアドバイザリー業務の中で,そういった会社には,ノマドワークの導入を諦めてもらう.一方で,元気の良い中小企業やベンチャー企業など,つまりその多くは,アジャイル文化の要素を多く持っているが,ここにはノマドワークの導入はフィットする.つまり私がいつも指摘する「ウォーターフォール文化 vs アジャイル文化」の考え方だ.

メディアに支配的な言説として,コロナ禍から立ち直った社会において「働き方改革」が完了できているかもしれない,という主旨のものがある.しかし私の視点では,残念ながら,それは「まったく当たらない」と考えている.なぜなら,そもそも日本の社会においてDXが進まない理由は,明らかに,組織のアジャイル文化度不足,であるからだ.つまり,文化変容なくしてDXなし,という前提に立てば,当然のことながらウォーターフォール文化の企業においてDXだけが進むわけもない.ITコンサルに発注をすればDXが進むと思っている経営者は,コトはそんなに簡単でないことを自覚する必要がある.逆に言えば,DXに適する組織とそうでない組織があって,自分のコミットする組織はそのどっちなのか,ということを考えなくてはならない.無論,その自問自答の過程でノマドワークを認めない,あるいは,DXは積極的に行わない,という判断があれば,それは尊重すべきだ.しかし,多くの経営者が「優秀な人材が採用できない」と嘆く中で,そういった人材が興味を持ち,理想と思う組織は一体どういった組織なのだろうか.そこにも留意する必要がある.

企業についてばかり述べてきたが,私がコミットするもう一つの組織である大学のような学校も同じことが言える.研究室には十分なアジャイル文化があるのに,学校の組織経営となると急にウォーターフォール文化になる.小学校から大学院までオンライン授業となった今,学校もまた,その経営体質がウォーターフォール文化であることの問題点が露呈している.

これらのことを簡単に説明するため,私は「IT前提経営:Tech Driven Management」という概念を提唱し,その6大要素をもって説明を試みている.

図1. IT前提経営における6大要素

ここで述べさせて頂いたノマドワークについてもこの6大要素の内の重要な1つである.また,ことデジタルについては,先生や大人といった「権威」が,児童・生徒・学生といった若者に完全に劣後することは明白である.つまり,6大要素で一番重要なのは「デジタルネイティブの理解」なのである.世代間が謙虚に向き合うことでしか次の経営は生まれない.つまり「働き方改革」の話をするのであれば,それは一体誰のための改革なのか,ということを明確にして議論しなければ何も解決されないのである.そこに真摯に向き合うことが,コロナ後の経営の力なのだと思ってやまない.

著者紹介

高柳 寛樹

1976年東京生まれ東京育ち.長野県白馬村在住.
株式会社アロワナパートナーズ/代表取締役,株式会社ウェブインパクト/代表取締役,ガーディアン・アドバイザーズ株式会社/パートナー,立教大学大学院ビジネスデザイン研究科/特任准教授,立教池袋中学高等学校/兼任講師,一般社団法人ネットリテラシー検定機構/理事などを兼務.近年は長野県白馬村に複住し,スノーリゾートレビュアーとして国内外のスノーリゾートのDXも行っている.「IT前提経営」の提唱者.
近著に「『IT前提経営』が組織を変える〜デジタルネイティブと共に働く〜」(近代科学社Digital)「まったく新しい働き方の実践〜『IT前提経営』による『地方創生』」(ハーベスト社)他多数.
プロフィールは下記に詳しい:https://hiroki.st/profile/

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