はじめに
2003年に世界で初の量産型二足歩行ロボットの製品化をして以降,教育,ホビー,研究開発,エンターテイメント,コミュニケーションなど数多くのロボット製品を開発・販売してきた *1.教育・研究開発を除くと,「このロボットはどういう目的で作られたのですか?」という質問を受けることがほとんどである.少々荒っぽい分類をするなら,産業用ロボットのような「役に立つロボット」,そうでないものを「役に立たないロボット」に分けた場合,我々はロボット開発を始めた当初から今現在に至るまで「役に立たないロボット」を中心に研究開発を続けている.こういうこともあってか,もう一つよく受ける質問に「ビジネスになるのですか?」というものがある.役に立ちそうにないところは質問するまでもなくわかるが,収益になりそうにないロボット開発に資金を投じてどうするつもりなのかという疑問なのか,あるいは何か簡単には理解できない特別なからくりがあって,その極意に対する知的好奇心からなのか.この質問に対しては,適切な答えかどうかはわからないが,会社は創業20年を迎えており,外部から投資資金を入れてもらってそのお金で生き延びているわけでもないので,食べていくレベルではビジネスになっているということだと思っている.
普通の会社との違いがあるとしたら,我々は自分たちが作りたいと思うものを作っているという点かもしれない.他人に理解してもらうことよりも,本能を揺り動かすものが持つ価値を信じて行動している.ロボットが持つ魅力に純粋に取り組むことで,喜びを得,時に共感する人がその価値を認めてくれるなど,私や社員のロボットに対する「ホスピタリティ」が作り手に喜びと企業の存続に必要な収益をもたらしている.こうした経験も踏まえて,ロボットビジネスを考える上で「ホスピタリティ」が重要な意味も持っていることを論じる.
ホスピタリティとサービスの定義
サービスの分野においては,おもてなしやホスピタリティという言葉は,サービスそのものに含まれると解されるように感じるが,今回の話の中においては,「ホスピタリティ」という言葉の意味を辞書的な意味合いで使いたいと考えている.ホスピタリティはお客様との対等な関係において手厚くもてなすこと,お客様のことをしっかりと理解して,何を求めているのか,どうすれば喜ばれるのかを察して行動することとし,あらかじめ想定されている内容を実施することをサービスとするという設定である.
ロボットが人をもてなすには,ロボットが対峙している人間のことを十分に理解できている前提が必須である.でなければロボットは,サービスの提供はできても,おもてなしはできないことになる. さて,ここで大きな課題が立ち塞がる.そもそも人間同士でも相手のことを理解することは非常に難しく,五感をフル活用して,対話を通じて相手の趣味嗜好を聞き出し,その人がそこにいる目的を理解できて,さらにその状況で相手が喜ぶことを発明しなければならない.現在の技術水準ではサービスの提供でさえかなり厳しいことを考えると,ロボットにホスピタリティをもたせるというのは,かなり無理のある議論になるとしか言いようがない.
しかし,人間とロボットの共存社会の実現を目指している者としては,このホスピタリティこそが,非常に重要なカギを握るキーワードだと考えている.
ロボットが人間をもてなすのではなく,逆に,人間がロボットに対してホスピタリティをもって接するという発想に立ち,人間がそのことに喜びを感じることができれば,人間とロボットがお互いにいい関係性を構築できるのではないかという考え方である.本稿では,3種類のタイプのロボットについて考察していく.これらのロボットは,利用者がロボットに積極的にかかわることで,利用者の満足度に影響するという共通点があり,今回のテーマとなっている「ホスピタリティ」という観点で興味深い示唆を与えてくれる.
市場に受け入れられたと考えられるロボット
ペットロボット
人間とペットの関係は,人間がロボットにホスピタリティをもって接することを想像する上で役に立つ.人間はペットに対して,ペットが心地よく過ごせる環境を提供し,時にペットが喜ぶことをする.犬の散歩などはいい例ではないだろうか.そうすることでペットは飼主になついてくれて,結果として人間もうれしくなる.ペットは決まったサービスを提供してくれる存在ではない.餌代もかかり,手間暇もかかる.それでもペットを飼う人にとってはかけがえのない存在である.
AIBO*2は,エンターテインメント分野のロボットとして開発された.介護ロボットや危険作業用のロボットと異なり,小型化すれば安全性や信頼性が低くても実用化が可能と判断されたためである(藤田 2000).購入者の中に,エンタメとして楽しむということ以上にペットとしてAIBOとの関係性を築く人が増えたこともあり,現在ではエンターテインメントロボットとしてではなく,ペットロボットとしての認知度が高く,市場としても,ペットロボットの市場を創出したと言われている.1999年に販売が開始されたが、2005年に生産が終了し,2014年にはサポートも終了された.その後2018年にクラウドAIを搭載して再度製品化されている.AIBOは動物のペット同様に,飼主の家族の一員として扱われ,20年がたった今も大切な存在として扱われているケースもある.
セラピーロボット
パロ *3は,AIBO同様にペットの代替えと,もう一つアニマルセラピーの代替えを目的に開発されたロボットで,ロボット介護活動/療法(Robot Assisted Activity/Therapy,RAA/RAT)としての成果もあげている(柴田 2017).米国において初の「神経学的セラピー用医療機器」 の承認を得たロボットである.人間にとって身近な動物である犬や猫の形にせずゴマアザラシ型の赤ちゃんロボットとした.その理由は,よく知っている動物の特徴と異なっている部分への違和感を少なくし,人間側に受け入れてもらうハードルを下げるためである.パロの開発者はこの製品開発の前に猫型ロボットの開発にもかかわっている.その際に開発されたロボットは,猫の気まぐれさや俊敏な動きが再現できないことなどから,ユーザーに受け入れてもらえなかったという知見も活かされている.ゴマアザラシの赤ちゃんのデザインにしているのは,人間の赤ちゃん同様に,「赤ちゃんは弱いもの」,「守ってあげないといけない存在」,「世話をするもの」という人間の本能的な行動を起こさせるためである.世話をするという行為は,外界とのかかわりであり,積極的な働きかけを通じて,生きがいを感じてもらうことができる点で介護施設の高齢者向けに評価されている.
人間のロボットに対するホスピタリティに着眼した
赤ちゃんロボット
かまって「ひろちゃん」 *4 (図1)は,AIBO,パロの成功要因を参考にして,人間が自主的に,しかも積極的にかかわる存在として赤ちゃんを模したロボットとして開発された.赤ちゃんを見た人間は,無意識に何とかしてあげたいと感じる.この人間が持つ能動的な特性に着目したものである.介護の現場では,赤ちゃん人形を使ったドールセラピーは20年以上前から活用されている実績がある(芦沢 2003).ロボット側の情動変化は,笑い声や泣き声などの声の変化のみで,可動部分もない.顏には表情変化の機能がないために,顔の表情デザインも施していない.笑顔のデザインとした場合,泣き声が違和感となり,無表情にデザインすることも同様に声の感情変化が伝わりにくくなるという仮説から,非常に極端な発想ながら,顔の表情も無しにしている.初見の印象としては非常に強い違和感があるが,使い始めるとその違和感はむしろなくなり,声色の変化によって,顔の表情を勝手にイメージしてもらうこと等,人間側の順応性に多くを頼っている.なお,顔のデザインの有無に関しての人間側の評価は現在研究中だが,利用者を観察している限りでは顔がないことで受け入れられないといったことは起きていない. この製品の開発では,ロボットの市場化を阻むコストに注目してローコスト化に拘ってもいる.開発段階では,声以外の機能についてより高機能なものもいろいろと検討,試作したが,高機能化すればそれだけ高コストになり市場化が困難になると判断し,強力な引き算を突き詰めた結果このような製品になった.
なお,メインとなるターゲットユーザーは,「ひろちゃん」を直接に触る高齢者ではなく,高齢者施設の介護士としている.ドールセラピーは,誰にでも効果があるものではないことも知られていて,利用者がお母さんのような気持になって赤ちゃん人形に積極的にかかわってくれるかどうかが利用における重要な判断になっている.そのため,利用者のアセスメント,運用計画,実施そして観察を通して,実用性を評価する必要がある.子育て経験のある女性では受け入れられることが多く,男性では赤ちゃんを模しただけでは受け入れてもらえないことが多いという趨勢がある.我々が「ひろちゃん」を介護士用としているのは,介護現場では,要介護者が時折起こす問題行動が,介護士の負担を増やしているという実態があり,ほんの数分でもこの問題行動を抑えることができるとすごく助かるという現場の声を参考に研究開発を進めてきた経緯がある.介護士と要介護者と「ひろちゃん」の関係において,介護士から,要介護者に対して「この子をしばらくあやしてもらえませんか」というタスクとして要介護者に依頼することは,要介護者にとって,子供の世話を見るという社会参加の機会が与えられるというとらえ方もできる.このように関係性を拡大することで,通常のドールセラピーにおける利用者の限定の範囲を広められないかという狙いもある.極めて単機能で, かつぬいぐるみの外観は,あやす側の人間を長時間にわたって飽きさせないことが困難であることは開発の当初からの課題となっていた.そこで,要介護者には仕事という立て付けにして,積極的にかかわることで人のためになる社会活動と赤ちゃんをあやすという行為による心地よさも得てもらおうという2つの満足の実現を目指した.
介護士は要介護者にサービスを提供する側の立場にある.「ひろちゃん」を渡す際に「この子の世話をお願いします」というのは,サービス提供者とサービス受益者の立場を逆転させることを意味する.受益者の立場にありながら,タスクを渡された要介護者は赤ちゃんをあやすというサービスに対して受け取る報酬は,「ひろちゃん」をお迎えに来た際に介護士からもらう「ありがとうございました」という非金銭的な言葉ということになるが,人の役に立てたという喜びと,自分の存在価値を確認できることによって「生きる意味」のようなものを「ひろちゃん」の間接的な利用者となる要介護者に感じてもらえたら商品設計,サービス設計は正しかったということになる.今のところ現場での直感的な印象にはなるが,この目的は一定レベルで達成できているのではないかと感じている.
おわりに
ロボット開発をしていていつも思い知らされることがある.それは人間がいかにすばらしい存在であるかである.ロボットの開発の方向性は多岐にわたるが,一つのわかりやすい目標として人間がある.今のところ全く足元にも及ばない状況である.2045年にAIが人間の知能を超えるという予測もあるが,人間の知能のすべてを超えるのかについては疑問が残るし,身体性という意味でも,単にパワーで上回るということは比較的に安易に想像できるが,人間が持つしなやかさのようなものを含めて人間サイズで人間のプロポーションで実現できるかということになるとなかなか想像できない.
今現在,人間社会に受け入れられているロボットはごく少数で,その少ない成功事例においても,特定の分野で扱い方についての細かな条件をクリアできることが前提となっている.サービスを提供するのではなく,人間側のホスピタリティをうまく活用している. 近い将来AIやロボットテクノロジーの進化により,人間を理解するロボットが実現され,ロボットが人をもてなす時代はやってくる.しかし,当面は人間が進んでホスピタリティをもってロボットに接したいと感じてもらうための開発コンセプトと,実際にそのロボットに接した人が幸せを感じることができるかどうか,すなわち,単なる製品の提供から,サービス提供者とサービスの受容者との間の共創関係の創出がロボットの市場化への鍵を握っている.
参考文献
芦沢隆子(2003). 心を活かすドールセラピー. 出版文化社.
柴田 崇徳(2017). メンタルコミットロボット「パロ」の開発と普及:認知症等の非薬物療法のイノベーション. 情報管理,60(4),217-228.
藤田雅博(2000).エンターテインメントロボットの可能性.電学論C,120(5),608-611.
著者紹介
大和 信夫
2000年8月 ヴイストン(株) 設立 創業者 代表取締役CEO,著書:「ロボットと暮らす」ソフトバンククリエイティブ社,「はじめてのロボット工学」オーム社(共著),教科書「ロボティクス」日本機械学会(共著).