コロナ第2波と第3波の間隙をついて昨年10月に開催された第3回の日本サービス大賞の表彰式と重なる形で,この「サービス学と実践」というコラムが「ムラカミロジー」としてスタートしてもう一年である.一年後の2021年10月に,日本サービス大賞の主要受賞企業17社のオリジナルな事例分析を縦糸とし,それにサービソロジーの現場で用いられている価値共創のサービスモデル,いわゆるニコニコ図*1という横糸を通し,「サービスイノベーションは,どのようにして起きているか」を明らかにすることを目指すことによって,サービスイノベーションの構造とメカニズムをひも解く本が出版された.さらにその本は,もう一歩踏み込んで「サービスイノベーションをどのように起こすか」というテーマにもチャレンジしており,真剣な読者は,読み進むにつれて,自分の会社のサービスのどの部分をどう変えるべきかという,サービスイノベーション実践の基本構想のイメージをかためていけるという設計になっている.

その本は,10月8日に生産性出版から出た「価値共創のサービスイノベーション実践論」*1である.「サービス学の実践」というこのコラムでとりあげるには,これ以上ないと思える本であり,価値共創,サービスイノベーション,サービスドミナント・ロジック,さらにその実践というこのコラムの主要テーマをすべて網羅している.問題は,編著者のひとりとして,本コラムの執筆者が入っているということだが,テーマのあまりの適合性に免じて,ムラカミロジーの議論の導入素材として取り上げることをお許しいただきたい.

この本は,村上輝康と松井サービスコンサルティングの松井拓己が編著を行い,筑波大学の岡田幸彦,産業技術総合研究所の竹中毅,野村総合研究所の三崎冨査雄と,日本生産性本部で活動するアランド・コンサルティングの大舘健児,ポジティブリレーションズの山藤佳子が執筆しており,まさに学術界と産業界のサービスの専門家の価値共創の成果というべきものである.この7人は,第3回の日本サービス大賞で1年半に亘って行を共にし,3,500ページを超える審査資料を読み込み,新型コロナ危機下でのオンライン調査に加えて,感染者数をにらみながらの現地調査も完遂し,表彰後もスマートサービスイノベーション研究会を組成して,切磋琢磨してきたチームである.

本書は,日本サービス大賞の内閣総理大臣賞を受賞した製造業のサービス化の模範事例であるコマツをはじめ,医療分野のベンチャー企業のUbie,教育分野のスプリックス,観光分野の星野リゾート,ユニークな地方企業の徳武産業,大里綜合管理,つばめタクシーや,通常のコンビニ業態の真逆をやって独自のサステイナブル経営に成功しているセコマ等,現在の日本のサービスイノベーションの最前線を構成している企業・団体17社の事例分析がその中核をなしている.この事例分析を「サービスイノベーションを構想する」と「サービスイノベーションを実践する」の2つの章で挟み込む形になっているのが本書の特色である.前者では,ニコニコ図の価値共創のサービスモデルを7つの経営革新フレームワークに導いており,後者では,17の事例分析からふんだんに引き出されてくるマネジメントノウハウを7つの経営革新の実現とサービスイノベーションの実践へのアプローチに活用している.

この本については,関心を持たれた方は是非手に取ってお読みいただきたいが,今回のムラカミロジーのテーマは,もちろんこの本ではなく,あくまで「サービス学と実践」についてである.実は,この本の内容を出版前に最初に公表したのは,日本学術会議の中に設置されているサービス学分科会のサービス学社会・経済構造検討WGにおいてだ.私は,日本学術会議には,サービソロジーの世界で本格的に活動する前の2006年から2012年まで,第3部の情報学の連携会員として所属していたので,土地鑑はあるが,今回は,人文・社会科学系の第1部の分科会からの依頼である.「サービス学への産業界の期待」というテーマでの,約1時間の私の講演と,委員との1時間余りの質疑応答を求められた.日本学術会議のサービス学分科会については,2017年の9月にこの分科会が発表した「サービス学分野参照基準」を読まれた方も多いと思う.私は,物理学や経済学と並んで「サービス学」の参照基準をいち早く取り纏めたサービス学分科会の業績は高く評価されるべきだと思っているが,この参照基準が第1提言で,2020年7月に「サステイナブルで個人が主体的に活躍できる社会を構築するサービス学」という第2提言が発表され,現在はそれらを統合する第3提言の検討に入っており,その検討の最初のスピーカーだという.緊張して参加してきたが,質疑応答の内容は差し障りがあるかもしれないので,私の講演での発表内容に限って,産業界の立場から「サービス学と実践」について思うところを述べておきたい.

第1は,サービスドミナント・ロジック(SDL)と価値共創の概念が通底する「サービス学原論」の不在という問題である.

図は,「価値共創のサービスイノベーション実践論」で用いた価値共創のサービスモデルのニコニコ図の上に,18の構成概念や10の構造概念*2の挙動に関わる経営理論に加えて,経済学や心理学,社会学等の隣接領域やサービソロジーにおけるTheoryをプロットしたものである.私は,シンクタンクやコンサルティングのような知識サービス産業というサービス業に50年以上身をおいている者であるが,ニコニコ図は,あくまで,そこでの仕事の主要な武器である「行動変容をもたらす論理的思考の枠組み」であるFrameworkであって,学術界が主要な活動の対象とするTheoryではない.

Frameworkは,常にその拠り所となるTheoryやMethodを求めている.この図についておおまかにいうと,提供者サイドには,バーニーのResource Based Viewがあり,利用者サイドの顧客接点には,ポーターのSCP(Structure Conduct Performance)の理論がある.もちろん,それを統合する位置付けにあるのが,SDLである.そして,満足度評価には,ミシガン大学由来のJCSIや今はやりのデライトの理論,事前期待形成には,事前期待を可視化するサービス工学,価値発信把握には,限定合理性や認知バイアス,提供価値共創には,野中のSECIモデル,学習度評価は,インタンジブルアセット評価,知識・スキルの蓄積・共有では,ダイナミック・ケイパビリティやシェアード・メンタルモデル,付加価値共創の分野では,Creating Shared Valueやソーシャルキャピタル等のTheoryがある.これに,サービソロジーが今,SDLをはじめとして,サービスデザインや,エスノメソドロジー,観察工学,便益遅延性や,サービスマーケティング,ラーニングアナライザやFKEの理論等を加えていこうとしている.

ただ,一見してわかるように,サービソロジーが独自に提供しているTheoryは,まだあまりにも少なく,粒度も小さく離散的で,ニコニコ図が示すサービスイノベーションを総合的に議論するには,まだ膨大なTheory Borrowingが必要である.Theoryの利用者として産業界でFrameworkを日常的に活用する立場にある者にとっては,サービソロジーの充実を待つ間はTheory Borrowingするしかないとは思うが,より切実な願望は,それらの個別のTheoryにSDLや価値共創の概念が通底する形で,サービス学の総論と各論を体系的につなぐ「サービス学原論」が欲しいということである.サービスイノベーションの実現を目指す実務家が,迷うことなく拠り所とすることのできる一貫性をもったTheoryが利用可能になることは,サービスイノベーションの全面展開にむかう日本経済全体にとっては不可欠の重要性を持っていると思う.

第2は,サービス学固有のコンテンツの不足という問題である.サービス学原論が存在しない中で執筆された「価値共創のサービスイノベーション実践論」がとった方法は,冒頭述べたように,主要なサービスイノベーションのベストプラクティスを選定してFrameworkに準拠した事例分析を行い,それらのマネジメントノウハウを抽出して分類し,成功パターンを見出すという方法である.

だが,もしサービス学原論が存在していれば,このプロセス全体を,科学的な学術的研究に支えられたTheoryで繋いでいくことができる.そして,モノの科学からの借り物でなく,モノとヒト,さらにカネと知識・情報を統合するサービスの科学による,サービス固有の原理,公理,法則等に貫かれ,サービスに固有の価値論,最適化目標,評価基準,メトリックス,方法論,方法・技法等をもつサービス学の体系が,研究者や実務家の活動を強力に支援する.

そのような姿に照らしてみた場合,この図をみるまでもなく,まだサービス学には,絶対的にコンテンツが足りない.今ある,サービソロジー・ネイティブな研究の充実に加えて,既存の学術的集積からのTheory Borrowingの部分を,おそらくSDLと価値共創の概念を拠り所とするサービス学原論に準拠する,サービス固有のコンテンツに書き換えていく必要がある.

日本企業の研修費支出は,21世紀初頭の約4分の1の水準にまで落ちているという.ポストコロナの復興期に研修費を積み上げることによって競争力を充実させたいと思う企業は多いと思うが,現状,依拠すべき信頼できる研修コンテンツが十分存在しないという重大な問題がある.もし,サービス固有のコンテンツに書き換えられた一貫性を持つサービス学の各論のコンテンツが存在していれば,その価値には計り知れないものがある.

第3は,これら二つの問題点に解決の糸口を与えるのは,サービス学原論に準拠するサービスイノベーション推進のTheoryと方法・技法の開発を行う,いわばサービステクノロジーの大規模な政府研究開発である,ということである.以上述べたような,サービス学原論とその総論・各論,そして,その実務家による利活用を可能にするテクノロジーの開発には,膨大な研究資源の投入が必要である.今それを日本のサービス産業に求めることはできない.今必要なのは,国によるビッグプッシュである.製造業に関わる分野にはいくつもの数100億円単位の政府研究開発プロジェクトがあるが,GDPの7割以上を占め,応分の法人税を支払っているはずのサービス産業向けの,この規模の研究開発は見たことがない.何も新たな財源を生み出すべきということではない.政府研究開発の「配分」をすこしは変えてみたらどうか,ということである.日本学術会議が,政権のリーダーの変化によって,どう変わるのかは分からないが,サービス学分科会は,この程度のことは言っても良いのではないだろうか.

11月1日からは,第4回の日本サービス大賞の応募が始まる.そこでは日本のサービスイノベーションの新たな最前線企業が多数,出現することと思われるが,それらがまたサービソロジーの新たな研究フロンティアを指し示してくれるのを期待したい.

著者紹介

村上 輝康

産業戦略研究所代表.サービス学会顧問.サービス産業生産性協議会幹事・日本サービス大賞委員会委員長.情報学博士(京都大学).

  1. 村上輝康, 松井拓己 編著 (2021). 価値共創のサービスイノベーション実践論: 「サービスモデル」で考える7つの経営革新,生産性出版.
  2. 村上輝康, 新井民生, JST社会技術研究開発センター 編著 (2017). サービソロジーへの招待: 価値共創によるサービス・イノベーション, 東京大学出版会.
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