「サービソロジー・ネイティブ」の発見

東京大学伊藤国際学術研究センターとオンラインのハイブリッド形式で,サービス学会の第10回の国内大会が3月7日から3日間にわたって賑々しく開催された.サービス学会創設10周年の記念ということで,大会3日目には,水流大会実行委員長の下,学会初の産学官が参加する一般公開プログラムが開催され,新井民夫初代会長や持丸副会長の祝辞や特別講演もあり,サービス学会のこの10年を振り返る良い機会となった.

新井さん(研究者はすべて,さん付けで表記)の祝辞の中で,ご自身が提案された学会英語名Serviceologyの日本語表記についてのお話の中で,突然,筆者の名前への言及があり驚いた.10年前には,学会運営の基本コンセプトについて細部にわたった熱い議論が行われ,Serviceologyの日本語表記を「サービソロジー」とするか「サービスオロジー」にするかという問題にさえ,口角泡を飛ばす議論をしたことを懐かしく思い出した.私は,すでに「産業界と学術界との強い連携」が学会活動理念として合意されているのであるから,学術色の強い「サービスオロジー」より,人口に膾炙しやすい「サービソロジー」の方が良いと主張し,その意見が採用された.ただ,それから10年たった今,Amazonで「サービソロジー」と検索しても,書名にサービソロジーを冠した本は,2018年に新井さんと筆者が編著した東大出版の「サービソロジーへの招待」しか出てこず,人口に膾炙しているとは言えないことには,内心忸怩たるものがある.

ただ,この第10回の記念すべきサービス学会国内大会では,そのような筆者の忸怩たる思いを吹き飛ばして,本当にこの10年やってきてよかった,と思わせる素晴らしい一言に出会った.それは,論文発表の質疑応答の中で,ある(筆者にとっては)若い研究者から出てきた「私のようなサービソロジー・ネイティブにとっては……」という発言である.10年前,社会科学,人間科学,理工学の文理の違いは勿論,経営学,経済学,心理学,エスノグラフィー,情報学,設計工学,果てはロボット工学まで,幅広く多様な分野からの専門家が,いわばサービソロジー・イミグラントとして寄り集まり,自分たちの専門性を持ち込んでなんとか新しいサービス学というジャンルを立ち上げようと努力してきた過程で,研究生活そのものをこのジャンルで始めて,そこで研究者として成長してきたサービソロジー・ネイティブが確実に育っていたのである.この分類学上非常に貴重な新種を発見したかのような驚きは,筆者のような学術界の外からやってきている寄る辺なきサービソロジー・イミグラントだから感じる驚きなのかもしれないが,あらためてこの貴重な種の成長と増殖を全力で応援していきたいと思った次第である.

そして,そのような視点からこの第10回のサービス学会国内大会を見直してみると,たしかにサービソロジー・ネイティブの息吹ともいうべき「サービソロジーらしさ」を感じるのである.文理融合でマルチディシプリナリーな国際学会としてスタートしたサービス学会は,当初は,そのあまりに多様な視座の重合のために,一体どこへ向かおうとしているのか全く予想がつかない状況であった.しかしながら,10年たった今,そこにサービソロジーとしてのひとつのスタイルが出来上がってきたように思うし,そのテーマにもアプローチにも成熟の兆しを感じることができる.

「サービソロジーらしさ」とは

ひとりのサービソロジー・イミグラントとして第10回の国内大会の成果を見渡した場合,10年かけて到達した「サービソロジーとは何か」を,大上段に振りかぶって論じることはできないが,「サービソロジーらしさ」とは何か,ということはおぼろげながら,諸論文の中に結像し始めているのを強く感じることができる.

その「らしさ」の第一は,サービスイノベーションに対する,通り一遍でない深い問題意識の提示である.

10年前のサービス学会の設立趣旨宣言から読み取れるサービス学の基本目的は「社会におけるより良いサービスの実現」である.そのサービスイノベーションの実現を,サービスについての本質的な理解を拠り所にしつつ,通念を超えたより深い洞察の中から生み出そうとするところにサービソロジーらしさの出発点があるように思う.

例えば,今回の論文発表で最初に筆者が聞いたのは,初日あさイチの東工大のホーバックさんの「労働の自律性は人間拡張技術を欲するか?」であったが,この論文は,筆者の一人である渡辺健太郎さんの所属する産総研の持丸グループがフロンティアを拓きつつある人間拡張技術と,サービスの実践の間の関係を問題にする.通常この2つのテーマが結び付くところで展開されるのは,人間拡張技術をサービスに応用することによって,どのような人間機能の拡張が可能であり,それはどのように新たなサービスモデルの設計に寄与しうるか,という問題の立て方であろう.筆者も2000年代には,ITの分野でそのような問題の立て方の研究におびただしい数,関与した.

だが,ネイティブ・サービソロジストのホーバックさんの問題の立て方は,まったく違う.もし人間拡張技術が,労働の現場で実際に使われるとした場合,それは労働者の働きやすさやWell-beingにとってどのような意味をもち,労働者の自律性にどのような意義をもたらすかを問題にするのである.つまり,人間拡張技術の問題を,経営者と労働者の間の提供サイドの価値共創の在り方の問題として捉えようとするものなのである.

正直,筆者は,人間拡張技術は2030年代になってからおもむろに考えれば良い技術であり,当面は本村さんや蔵田さんらの夢のある話を聞いていれば良いテーマだと思っていた.しかし,この技術をサービスの実践という地平で考えるホーバックさんにとっては,それは,技術が立ちあがろうとしている今こそ考えなければならない問題なのである.

この問題意識には,頬を平手で叩かれたような衝撃を受けた.人間拡張技術は,企業にとっては,正に今,それに対してどのようなスタンスをとるべきかを真剣に考えなければならないテーマなのである.もし,それが,労働者の自律性を高め,あわよくば生産性を2倍にしてくれるようなものなのであれば,日本の産業界が直面しようとしている少子高齢化社会の問題も,まったく異なったシナリオになっていくのであり,経営戦略も経済政策も根本的な見直しを求められるかもしれないのだ.

その隣の会議室で行われた東大の原辰徳さんの「サービス・テコロジー:サービスエクセレンスを促進する価値共創メカニズムの数理モデル」も筆者に,通り一遍でない問題意識を認識させてくれた.原辰徳さんは,日本政府のデジタル化の牽引者でもあり,その多彩な活動の様子から,つい筆者らと同じサービソロジー・イミグラントだと思いがちであるが,よく考えると生粋のサービソロジー・ネイティブなのである.10年前,筆者に,人工物工学分野ではここまでサービスのシステム論的記述が進んでいるのかと唸らせたService Explorerの開発は,原辰徳さんの博士論文だそうであり,そこから研究者生活が始まり,常にサービス学会の成長に深く関わりながら今日に至っているのだ.

価値共創のサービスモデル(いわゆるニコニコ図)では,ビジネスモデルの価値尺度は価格であり純利益であるが,サービスモデルの価値尺度は顧客満足であると考える.したがって,持続的なサービスイノベーションの実現を目指すサービス提供者は,すべからく利用サイドの価値共創を通じた顧客満足の向上に邁進すべきである,というのは,いわばニコニコ図の基本的前提である.ここまでは分かるが,この論文の問題意識は,顧客満足だけでは不十分であり,サービスの提供者が目指すべきは,顧客のポジティブな感情を引き出すカスタマーデライトであるべきなのではないか,ということである.

そして,そのカスタマーデライトのメカニズムを考えるには,おそらく原辰徳さんの発明物である,梃子の原理を応用したサービス・テコロジーが必要だというのである.もしそうなのだとすれば,持続的なサービスイノベーションには,顧客の積極的な参加や緊密な協力関係の強さまでは考慮の内だとしても,「顧客中心性」や,にわかには意味不明の「データ収集の規模」,そして全体を動かす力学モデルのサービス実践の場における駆動メカニズムの理解が必要になってくるということである.

同じように,問題意識の設定の仕方自体がわれわれに根本的な気づきを与えてくれる論文としては,京都産業大学の上元旦さんの「ありがた迷惑行動」論文や,筑波大学の上村奎斗さんの「憑依型テレプレゼンス」論文,増田央さんの「観光のインフルエンサーマーケティング」,西野成昭さんのコロナ下の「空間シェアリング」等,枚挙にいとまがない.

第二の「らしさ」は,第一の「らしさ」を実証するための融通無碍な方法論の多様性である.サービソロジーには,分野毎に決まった社会調査やフィールドワーク,数理モデル,シミュレーションといった特定の方法論は無い.原則があるとすれば,研究対象に応じた利用可能なあらゆる方法論が利用可能であるべきだということである.

ホーバックさんの論文は,一群のサービソロジー研究においては一種の標準的な手法になりつつある共分散構造分析を用い,原辰徳さんは数理モデル分析,上元旦さんはインデプスインタビュー,上村奎斗さんはシステム創成とユーザビリティ分析,増田央さんは動画利用のマーケティング効果分析,西野成昭さんはメカニズム研究と経済実験の手法を用いている.この他にも,エージェント・シミュレーションやサービスデザイン,動作分析や要求工学,テキストマイニング,ウェアラブル脳波計やリビングラボによるもの等,実に枚挙にいとまなく,どのようにも共通項を特定できない多様性を持った手法の活用が見られる.強いていうなら「サービスが求める最適な方法を研究者が選択して融通無碍に活用する」という方法論なのである.

第三の「らしさ」は,第二の「らしさ」の発揮に成功すれば,論文の結論には必ず「実務的含意」への言及がある,ということである.すべての研究において,ほぼ例外なく,理論的な含意だけでなく,それが「社会におけるより良いサービスの実現」にどのように繋がりうるかについてのその研究の意義を提示してくれる.

この「らしさ」は,筆者のような,サービス学のTheoryの提供者であるよりは,利用者であることが圧倒的に多い者にとっては,非常にありがたい「らしさ」である.苦労して読み進んでいって結論に達した時,その分野の従来からある理論的な課題がほんの少し前に進んだのを確認できるだけで,実務とはほぼ無関係だったのを発見して徒労感を感じる,ということがほとんど無いからである.もちろん,研究者はその「ほんの少し前に進む」ことに命を懸けているということは理解しているが,異なった読み方も存在することも理解してもらいたいのだ.逆引きして,結論や考察の評価からスタートして読んでいくことによって,どんな若い研究者の論文にも,それがサービソロジー・ネイティブな研究者のものであるかぎり,何らかの学びがあると信じて読む読者の存在についてである.

価値共創の必要なのはサービス学の研究コミュニティ?

冒頭にAmazonで検索してもサービソロジーという言葉を冠した本は,一冊しか出てこないと述べたが,もっと深刻な問題がある.それは,「サービス学」という言葉で検索すると,何と,一冊も出てこないのである.これは,ムラカミロジー4で指摘した,サービス学原論の不在という問題にも通底しているが,10年間学会活動が続いているにもかかわらず,その学会名を冠した出版物が一冊も無いのである.情報処理は無数にあるし,社会情報学ですら複数存在する.

筆者は,今回の国内大会では,一般公開プログラムの日本サービス大賞セッション,二日目のCOVID-19対応研究最終発表会に加えて,初日にも登壇して「価値共創のサービスモデルにおける利用価値共創の仕組みの創り込みの事例分析」という論文発表を行った.その問題意識は,優れたサービスイノベーションには,革新的で優れた価値提案が必要不可欠であるが,いかに価値提案が革新的で優れていても,それだけではサービスイノベーションが実現する訳ではなく,必ずそれを顧客に受け入れてもらうための優れた価値共創の仕組みの創り込みが無ければならない,ということである.そのことを,コマツのスマートコンストラクション(SC)や森ビル/チームラボのデジタルアート・ミュージアムの事例を用いて解題した.

例えば,コマツのSCは,ドローンや3Dクラウド,ICT建機,5G等を組み合わせた土木建設サービスの世界最先端のDXソリューションという革新的で優れた価値提案を行っているが,その先端性だけでは市場の90%以上を占める従業員9名以下の小規模土木建設サービス事業者という標的顧客には訴求することができない.コマツIoTセンター,自前で育てた600名以上のSCコンサルタント,研究開発チームに隣接するSCサポートセンターといった,利用サイドにおける本格的な価値共創の仕組みの創り込みがあってはじめてサービスイノベーションとして実現していったという事例分析を行ったのである.

このムラカミロジー5を書いていて分かってきたのは,実は,サービス学の研究コミュニティにこそ,この利用価値共創の仕組みの創り込みが必要だったのではないかということである.サービス学の研究コミュニティは,10年前に,「サービソロジー」という革新的で優れた価値提案を学術界や産業界に対して行うことができた.しかし,その革新的で優れた価値提案を,サービス学の標的顧客である幅広い関連分野の研究者や,企業のサービスイノベーション立ち上げ担当者・経営者が,喜んで受け入れられるような価値共創の仕組みの創り込みの努力を,その後の10年間で十分やってきたか,という問いを,サービソロジー・ネイティブが育ちいくこれからの10年にむけて,自らに厳しく問わなければならないのではないだろうか.

参考文献

サービス学会, 第10回国内大会講演論文集, 2022年3月7日~9日, 東京大学本郷キャンパス伊藤国際学術研究センター.

著者紹介

村上 輝康

産業戦略研究所代表.サービス学会顧問.日本生産性本部理事・サービス産業生産性協議会幹事・日本サービス大賞委員会委員長.情報学博士(京都大学).

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