社会が大きく変化する流れの中で,ホスピタリティの捉え方はどのように変化するのか,しないのか.また,この点をサービス提供者と受容者,あるいは社会の視点で観ると何が異なるのか.”

本特集「新しい時代のホスピタリティ」を始めるにあたり,我々が最も意識した点だ.
日本のコロナウイルス感染症COVID-19(以下,COVID-19)の2022年4月1日の新規感染者数は44,843名で2020年同日(257名)の174倍になっている.それでも,社会は少しずつ前に動き出している.飲食業や宿泊業をはじめとするホスピタリティ産業のサービス・エンカウンターの接客応対を見ても,多くの施設で2年前よりスムーズになっていると感じることがある.2年の間にさまざまな経験を積み,試行錯誤し,その結果が現れている.
ホスピタリティについてはどうだろうか.本特集ではホスピタリティを“客人に心地良くなってもらいたいという主人の内面から生み出される精神,あるいはその精神を基にした行為”と定義した.このホスピタリティは変化したのか,していないのか.この点を読者とともに議論を深めることを目的に,5本の記事を公開することができた.「新しい時代のホスピタリティ」の議論を深めるにはまだまだ足りないが,面白い取組みや新たな視点を示すことができたと考えている.読者や執筆者,事務局をはじめ,この場を借りてすべての関係者に感謝するとともに御礼を申し上げたい.
ここで,各記事について簡単に振り返りながら紹介したい.
1本目の記事では,京都嵐山で料亭「京料理 鳥米」を経営する田中良典氏に,コロナ禍以降のホスピタリティのあり方についてインタビューを行った.
インタビュー日時は2021年5月31日であり,京都市は緊急事態宣言発令中で他の飲食店と同様,鳥米も来店客の大幅な減少に悩まされていた.鳥米ではコロナ禍以降,入店時の検温や手指の消毒,各部屋の換気を徹底している.換気においては二酸化炭素測定器を各部屋に設置し一定の濃度を超えると仲居が換気しに部屋へ伺う仕組みをつくっている.この取組み自体は目新しいものではないが,“お客様にいかに安心して楽しんでもらえるようにできるか”という田中氏の問題意識がこの取組みに意味を与えている.換気について自分たちの思い込みで取り組むのではなく,専門家である京都大学ウイルス・再生医科学研究所に相談に行っていることからも,田中氏が“お客に安心して楽しんでもらいたい”と本気で考えている証左であろう.
2本目の記事の著者であるハン・H・スプリング氏(京都大学)からは,アフターコロナ時代の飛躍に向けてサービス部門が準備すべきこととして,①最先端テクノロジーの活用による優れた顧客体験の実現,②顧客と対峙するサービス担当者に対するエンパワーメント,③リアルタイムサービスの提供の3つを提案していただいた.
歴史的な時代の転換期にあるコロナ禍において,ハン氏は“これからのサービスのスタンダードはユニークなものになるだろう”と指摘する.
顧客の嗜好はより多様化し,カスタマイズされたサービス体験を求めるようになり,迅速なコミュニケーションを求める傾向が続く中,これまで以上の顧客ロイヤルティを獲得するには上記の3つは必須のものといえるのではないか.
3本目の記事では寺本元氏(一般社団法人知床しゃり事務局長)より,世界自然遺産の知床地域を事例に誠実なホスピタリティを提供するための試みを2つ提示していただいた.
ひとつは,人間がコントロールできない“自然”を資源とする観光サービスにおいて,“リスクと選択肢”を適切に提示するということである.知床独自の観光資源であるヒグマの存在は,観光サービスにおいて人身事故を起こしうるリスクを高める.一般的にはこのようなリスクは最小化する方向,すなわち,ヒグマと出会う機会をゼロ,あるいは最小化するための施策を検討することが多いだろう.知床でもそのような動きが過去にあった.しかしながら,試行錯誤を繰り返し,現在では知床五湖ルールをはじめ,観光客に対して“リスクと選択肢を提示する”というルールや考えが定着しているという.
また,個人の価値観が多様化する中,デジタル体験では代替できない旅の本質を伝えるコンシェルジュとして,地域住民の存在を取り上げている.“旅先での地域住民との出会いはデジタル体験では代替できない旅の本質のひとつで,その地域の住民こそがホスピタリティを持つコンシェルジュとして観光客をもてなすことができる”と指摘する点はまさにその通りであろう.
4本目の記事では,老舗旅館の綿善(京都市)のおかみ(取材時は若おかみ)である小野雅世氏(以下,小野氏)に,コロナ禍での新たな試みとホスピタリティについて伺った.
小野氏は「過剰なものを提供するのではなく,その場に当たり前にあって違和感のないサービスを提供することが究極のホスピタリティではないか」ということをコロナ禍で再認識したという.すなわち「居心地の良い空間をつくること」であり,そのためには従業員が“余白”を持って思い思いの接客ができる環境であることが必要だという.余白の重要性については,1本目で取り上げた田中氏も触れている.余白が顧客に対する深い理解に大きく関わることは頭ではわかってもなかなか取り入れることが難しい.これを実現するための人材育成や人材採用をおこなっていると小野氏は述べている.
5本目の記事では,総合空間事業を提供する株式会社パルコスペースシステムズ(以下,PSS)への取材から,同社のインフォメーションサービスから新たなホスピタリティ事例を紹介している.コロナ禍以降,不特定多数の人が集まる施設では,COVID-19の感染対策を徹底していることから,人同士の接触機会が大きく減少した.またコミュニケーションも会話からデバイスを利用したテキストコミュニケーションも増加している.PSSのインフォメーションサービスを利用する来店客の行動も同様に変化した結果,従来行ってきた“耳を傾け寄り添ったサービスの提供”は困難になった.PSSのインフォメーションサービスでもパーティションを設置しているが,人と人を遮るためのものではなく,“人との繋がりをより強くする手段”として「SEE-THROUGH interaction」を新たに設置,活用している.これは,透明なディスプレイ上に話した言葉が浮かび上がり,スムーズにコミュニケーションをとることが出来るものだ.
テクノロジーを活用することはインフォメーションサービスの“手段”が変わっただけで,サービスの本質である“人を想いながら接する”ことは変えない.この想いと行動こそがPSSにおける新たなホスピタリティのかたちになっていくことは間違いないだろう.
以上の通り,本特集では5本の記事を公開することができた.このことに改めて関係者各位に感謝したい.
本特集は本年度で区切りを迎えるが他の特集でも何らかの形でホスピタリティに関するテーマが取り上げられるだろう.その際は,本特集記事の内容を思い出してもらえたら本特集担当としてこの上ない喜びである.

著者紹介

丹野 愼太郎
株式会社マーケティング・エクセレンス
㈱マーケティング・エクセレンス コンサルタント.同志社大学工学部卒業,2013年同志社ビジネススクール修了(経営学修士).産業ガスメーカー勤務,産業技術総合研究所を経て現職.製造業のサービス化に関する研究等に従事.

平本 毅
京都府立大学 文学部
京都府立大学文学部和食文化学科准教授. 博士(社会学).立命館大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了後,京都大学経営管理大学院特定講師などを経て,2020年より現職.主として接客場面の会話分析研究に従事.

増田 央
京都外国語大学 国際貢献学部
京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科講師.博士(経済学).北陸先端科学技術大学院大学,京都大学経営管理大学院を経て,現職.サービスのデジタル化の影響に着目した,サービス工学,経営学,マーケティング,観光に関する研究に従事.

中村 聡太
KAKERU
KAKERU コンサルタント.明治大学政治経済学部卒業,明治大学グローバル・ビジネス研究科修了(経営管理修士).会社員として働く傍ら,個人事業KAKERUを立上げ,マーケティング支援を行う.パラレルワーカー.

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