「新しいあたりまえ」が求められる中でも,大切なことは変わらない.「顧客を喜ばせること」.

はじめに

緊急事態宣言下,閑散とした東京都心の駅や商業施設.そんな光景を2020年のはじめに誰が予想できただろうか.コロナウイルス感染症COVID-19は様々な産業に大きな影響を与えている.小売業もその一つであり,とりわけ小売店への影響は計り知れない.休業や時短営業などによる短期的な売上減少等は言うまでもないが,「新しい生活様式*1」が提言され,顧客の“密”を回避する動きが続けば,中長期的に影響を受けることは必至である.小売店は密集,密閉,密接の「3密」を避ける取り組みを継続することが求められ,店頭での顧客接点,つまり接客様式なども大きく変わることになる.何をもってCOVID-19収束とするかは様々な議論があるが,その影響が相当長期間に及ぶことは間違いないであろう.「新しいあたりまえ」が目の前にある今,小売店に求められることは何か.

「それで顧客は喜びますか?」

小売店にとって緊急事態宣言による「外出自粛要請」は消費行動そのものの消失,「休業要請」は機会そのものの消失を意味し,これまでに経験をしたことのない危機に直面した.内閣府「消費動向調査*2」によれば,消費者態度は急速に悪化し,2020年4月の値はリーマンショック後の最低値である2009年1月を下回った.消費者心理の悪化は,家計の消費支出減少に繋がり,影響は相当長期間に及ぶことが予想される.制約のある生活が長期化したことで,「買い物」など緊急事態宣言下で自由に行うことが難しくなった活動への欲求が高まっているといった前向きな調査結果*3もあるが,それは一過性のものと考えられる.雇用環境等が悪化する中で,劇的に消費者心理が改善されるとは考えにくい.さらに,「巣ごもり消費」という言葉に象徴されるように,EC利用が加速したことも,小売店に影響を与えることになるだろう.顧客の中にはECでの購買に慣れたことによって,商品やサービスによっては実店舗に戻らないこともあり得る.もちろん,それは「ECで満足な体験ができるのであれば」という前提での話である.

筆者は小売店から「ECを検討する」とか「これからはECなしでは生き残れない」などという声を聞く機会がこれまで以上に増えている.これから先,EC市場が成長していくことに疑いの余地はなく,小売を生業とする企業であれば検討する日が遅かれ早かれ来ることだろう.しかし,ECサイトをもっていれば安心なのか.決してそうではない.ECもまた顧客満足を獲得できないサービスは長続きしない厳しい市場である.厳しい状況に直面する中で,チャネルについて考えることは重要である.しかし,その選択が小売店側の独りよがりのものになってはいないだろうか.筆者は「顧客に喜ばれるか?」という大切な問いが抜け落ちてはいるのではないかと危機感を覚えている.

サービスを考える上で,「顧客に喜ばれるか?」と問いを決して忘れてはならない.そのサービスがどのようにすれば顧客に喜ばれ,顧客満足,顧客ロイヤルティを獲得するに至るのか.厳しい状況である今だからこそ,小売店は今一度このことを考えなければならないのではないか.

「小売店は体験する場所へ」

COVID-19により生まれる「新しいあたりまえ」は,小売店の「モノからコトへ」の転換を加速させることになると考えられる.仮にEC利用が加速度的に増加した場合,ECは情報量,価格,利便性といった多くの項目で,これまで以上に小売店を圧倒することになるだろう.特に,情報を事前に調べて比較検討できる「探索財」の場合,「ただモノを売る場所」という小売店は,顧客にとってほとんど意味を持たなくなる可能性すらある.顧客は小売店にECでは得ることのできない「体験」を求め,創造的な「出会い」に期待するようになるだろう.COVID-19禍で多くの人がECの利便性を知り,逆にECだけでは満足できないことも知ったのではないか.小売店はこの危機を機会と捉え,「ただモノを売る場所」から「モノを購入する体験を提供する場所」へと変わることが求められる.

小売店での体験は,人的かつ直接的な相互作用が重要となる.体験は顧客と共に創るものと考えなければならない.顧客のショッピング経験において,従業員は単なるサービス提供者でなく,顧客とショッピング経験を創る一方の当事者となる.今後,接客様式が変化しても,大切なことは変わらない.従業員と顧客の相互作用は,サービス提供プロセスの決定的瞬間であり,顧客満足,ひいては顧客ロイヤルティに繋がっていく.顧客と相対する従業員の存在はこれまで以上に重要になることだろう.

図1.  モノからコトへ

「小売店の可能性をあきらめない」

ここに一つのブレークスルー事例を紹介したい.筆者が検討段階から関わっている小売企業A社の実際の事例である.A社は首都圏に10店舗の小売店を運営する中小企業である.売上は堅調に伸びており,はたから見れば順調そのものであった.しかし,近年の人口動態の急速な変化,価値観の変容,EC市場の伸長など環境変化に危機意識を持ち,新しいビジネスを模索していた.A社は出店する複数のショッピングセンターで接客優良店舗に毎年のように選出されるなど,サービスを提供する「従業員」が自社の強みであると考えていた.そしてサービス創造の中核が「従業員のホスピタリティ」であると結論付け,小売店に特化した人材派遣業に参入したのである.小売企業であるA社が,自社のサービスを「モノ売り」であると考えていたら,このような選択には決してたどり着いていないだろう.「モノを購入する体験を通じ顧客を喜ばせる」と考え,顧客と従業員の関わりの重要性を理解し,人材育成にチカラを入れてきたこその冥利である.同社の社長は次のように語っている.「ただモノを売るだけではなく,お客様のためになにができるかを考え,小さな気遣いや,丁寧な接客などを心掛け,従業員が誇りを持って働ける『人』を主軸とした経営が,我が社の価値だと考えています」.

A社は「モノを購入する体験を通じ顧客を喜ばせる」というミッションを,人材派遣というかたちで世の中の小売店に広めていこうとしている.小売店の可能性は,顧客を喜ばせたいと願うチカラがあれば広がっていく.

さいごに

小売店,ECにはそれぞれの魅力がある.今後,AI等のテクノロジーにより,小売店とECはよりシームレスにつながり,新しいサービスを創出していくことだろう.筆者は人のチカラを信じている.小売店におけるテクノロジーの活用は,人との関りをより強くするものであって欲しいと願う.

「それで誰が喜ぶの?」きっとそんなシンプルな問いにこそ答えがあるのではないか.大切なことは変わらない.今の変化(CHANGE)を恐れず,固定概念などのストッパーを外して進むこと.それがきっと機会(CHANCE)を生み出すはずだ.

図2. CHANGEはCHANCE

著者紹介

中村 聡太

KAKERU代表.
明治大学政治経済学部卒業(2011). 明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科修了(2018). 経営管理修士.大学卒業後,消費財メーカー勤務を経て,商業施設開発に従事.2019年に個人事業KAKERUを立上げ,小売業を中心にマーケティング支援を行う.
研究分野では,「小売店頭における価値共創に関する一考察~従業員と顧客の相互作用を中心に~」で日本マーケティング学会2018ベストペーパー賞を受賞.

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