このご時世だというのに不謹慎といわれるであろうタイトルをつけた理由は,私に見える範囲だけでも少なくとも3つのチャンスがこの数か月で出現したからである.ひとつめは,人々が互いに新しいコミュニケーション手法を使いだしたことである.半年前には遠隔地間でやむを得ず使うことの多かったZoomやTeamsなどのオンライン会議ツールだが,今では導入経験のない人にお目にかかるほうが難しい.筆者自身も教育,研究,その他の業務でほぼ毎日,誰かと話しているつもりでPCの画面に向かっている.画面には,初めて出会う異業種の人が現れ,声が聞こえ,ご自宅の犬の声が聞こえるなど,研究室で対面するよりも豊かな情報を得ることも多い.20世紀の最初にシュンペーターが示したように,イノベーションは新しい結合として実現される*1のであれば,新しい人々と日々接触し続け知識を連結させてゆくことはイノベーションの推進にとって必須のアクティビティである.オンライン会議は以前から普及していたが,イノベーションの形態としても主役に躍り出たかもしれない.
第二のチャンスは,科学研究に携わる人々が新しい科学の方法を試し始めたことである.残念ながら,COVID-19感染の予測や説明を行うためのデータについて,わが国は質・量ともに貧弱と言わざるを得ない.例えば,内閣官房からオープンデータと称してさまざまなデータが掲載されているが,新規感染者のデータの前提となるはずのPCR検査は人為的に選ばれた少数のサンプルに対して行われ,真の分布を反映しているとは考えにくい.このデータを政策に適用し「一週間の平均の新規感染者数が20名/日を下回ったので規制を緩和してみよう」など判断するのは危険である.また,同じ死者数の時系列データをみても,死者それぞれがどの日の新規感染者であったかという情報が無いので,ウィルスの毒性の変化と悪化する速度のばらつきなどのうちどの指標を用いて解釈すべきか判断に苦しむ・・・データを起点としてモデルを構築するというデータ駆動科学の適用が難しい・・・ならば・・・!というわけで,仮説的にモデルを立てて現状との定性的な一致を論じ,そのモデルに頼りながら政策を打ち出すモデル駆動科学方法が勃興しはじめた.COVID-19感染の予測や対策の検討を行う道具として多様な数理モデルが世界中で提案されている.もはや,AI時代ではない.
モデル駆動というのはデータを用いないことではなく,モデル構築→データ分析→モデル構築一データ分析・・・というサイクルをモデルから始めるという意味である.例として,私も独自に建てた社会ネットワークモデルを用いて感染過程をシミュレーションしているが,当然,実際の推移データと照合させながらモデル再構築を繰り返している.このモデルを用いてシミュレーションすると,図1のように新規感染者数が中途半ばに下がった時点で一般住民の行動規制を緩めると,元々制約を入れなかった場合よりも高いピークに達する.人々が見知らぬ人との接触を活発化すると図2のように爆発的に感染が拡大することもある.キャバクラでの感染拡大はその小規模な場合に過ぎない*2.イノベーションに必要な異分野,異業種の「新結合」を求めるときは見知らぬ人と話さざるを得なくなるが,それでも接触は要注意というわけである.やはり,オンラインでの会合が必要だと示唆する結果である.しかし,オンラインで十分だろうか?この問いの先に,第三のチャンスがある.
オンライン会議の最後はいつも退出ボタンを押し,目の前にいた人たちが一瞬で消え失せ寂しい気持ちになる.思えば,これまで筆者自身の取り組んだコラボレーションは,会議の前後に廊下で立ち話したりししているうちに生まれた相互理解から始まることが多かった.オンラインでは,この立ち話しがない.さらに,二次元の画面で見ただけの人の顔は記憶に残りにくいと感じているのは私だけではないようである.逆に言えば,オンライン会議の前後に三次元で同じ空気を(少し離れていても)吸う会話を作ることができれば,そこにイノベーションのチャンスが生まれる可能性を残すことができる.
どうすればよいだろうか?ただ顔を見て酒を飲めばよいのではない.イノベーションのためのコミュニケーションでは,個人への粘着性の高い文脈情報を他者に移植し,連結した知識を生み出すところにコストがかかる*3.オンラインでは互いの文脈に寄り添うような共感性が得にくいゆえ,互いの主張の背景にある理由(why)を問い,その理由の中にある問題をどのように(how)解決するかを考える論理的なデザイン志向の質疑*4を心がける必要がある.このような質疑は相当な時間を要する会話となるゆえ,出会う前に多様な人々の知識や興味を事前に言語化し可視化し,それに基づいて会う相手や参加するグループ選び,自らの目的意識も具体化してゆくのが適切となる.このために有効な手段が,「予備的邂逅(よびてきかいこう)」である.
筆者がこの語を初めてきいたのは,2012年に全国から集まった47名の各分野の先駆者が研究テーマを創出するワークショップを,私の手法(イノベーションゲーム)を用いて開催したときである.このワークショップに,東京大学元総長の吉川弘之名誉教授がオブザーバとして参加された.イノベーションゲームでは,さまざまな既存の技術やデータに対する期待感をカードに記載し,カード間の結合可能性をネットワークで可視化したマップを見ながら参加者が「新しい結合」を提案し評価しあう.このワークショップの後,吉川先生が講評で指摘されたポイントは,このマップが「予備的邂逅」の役割を果たしていることであった.
邂逅とは「偶然発生する出会い」であるが,たまたま自分にとって有益な知見を持つ人に出会うのは難しいため,まずは多数の人の知識や興味を俯瞰して自分と他者の接点に気づくのが予備的邂逅である.予備的邂逅を行い,共有できる文脈をおおまかに把握してからオンラインで論理的質疑に入る.そして,それでは応えきれないwhyとhowに出くわしたら,十分に感染リスクに気を配りながらリアルな空間で会う.感染ゴジラを目覚めさせる急激な異業種対面は避けつつ,計画的にリアルを残すDX Planningの考え方が肝要である.
筆者自身,データ市場をイノベーションの場にするために,データジャケットをリアルとオンラインの対話に取り込む方法を探求中である*5(図3).データジャケットとは,データの内容を誰にも見せないままその概要や成分,利用するメリットをあえて主観的に記載した簡単なデータ書評である.さまざまなデータジャケットの関係性を可視化することによって,新しい結合をさがす様々な人のコミュニケーションを刺激することができる.図3左写真のように対面の接触と右写真のようにオンラインの接触の二通りの手法を公開しているが,それぞれが持ち味を発揮しており,発案者の私だけではなくさまざまなユーザが自分なりの両者の組み合わせ方を見つけ出して活用の輪が広がっている.ポストコロナ社会の入り口に,毎日立っている実感を楽しむこのごろである.
著者紹介
大澤 幸生
東京大学教授・大学院工学系研究科システム創成学専攻長.
経歴:生まれて,食って,遊んで,呑んで,寝た.いつか死ぬであろう.
脚注
- *1. Schumpeter, J.A. (1912), Theorie der wirtschaftlichen Entwicklung, Leipzig, Duncker & Humblot, Berlin.
- *2 大澤幸生:3種類の第二波:いま,何をすべきか, 医療ガバナンス学会MRIC Vol.111 http://medg.jp/mt/?p=9647
- *3 von Hippel (1994), "Sticky Information" and the Locus of Problem Solving: Implications for Innovation. Management Science, 40(4), 429-43.
- *4. Ozgur Eris, David Bergner, Malte Jung, Larry Leifer (2006), ConExSIR: A Dialogue-based Framework of Design Team Thinking and Discovery, Ohsawa, Y., Tsumoto, S.,(eds) Chance Discoveries in Real World Decision Making (Data-based Interaction of Human Intelligence and Artificial Intelligence), 329-344.
- *5 データ流通推進協議会:リファレンスアーキテクチャ概要書 DFFT(Data Free Flow With Trust) 実現のためのアーキテクチャ設計と国際標準化推進の研究p.44-51(2020),https://data-trading.org/wp-content/uploads/2020/04/b-1_Architecture_Abstract_20200331.pdf