はじめに
本記事では,コロナ禍に直面し,今後のホスピタリティのあり方を見据えながら京料理屋を経営している「京料理 鳥米」*1の若主人,田中良典氏へのインタビューを紹介する.なお,インタビューの実施日時は2021年5月31日である.
コロナ禍と料理屋のホスピタリティ
平本:まずは,コロナ禍でのお店の状況をお教えいただけますでしょうか.
田中:コロナ禍で予約自体が少ないので,お客様の絶対数は少なくなります.いらっしゃる方は少人数のご家族がほとんどで,やはり会社の会合等の大人数での利用はあまりなくなっています.個室の利用が主となり,大広間はほとんど使われなくなりました.
感染対策としては,入店時の検温と手指の消毒をお願いしています.それから喫煙所やトイレの入室に関しては,他のお客様がご使用されている場合はお控えいただき,一人ずつのご利用をいただいています.また,二酸化炭素測定器を部屋に設置しています.お客様に換気を行う際の基準値を説明し,部屋の二酸化炭素濃度が上昇すれば換気を行っています.料理の提供スタイルについては,私どもは元からオードブル形式をほとんどとっていなかったので,あまり大きく変えることはありません.ですが,極力お客様同士の箸が当たるような盛り付けはせず,銘々のかたちでお出ししています.こうした感染対策をしっかりとっておりますし,また,ご家族の間柄のお客様が多いので,食事中の感染リスクはある程度抑えることができているかな,という印象があります.
平本:二酸化炭素測定器についてもう少しお教えいただけますか.
田中:京都大学のウイルス・再生医科学研究所の先生にお話を伺ったところ,空気中のウィルス自体を測定することはできないので,しっかりと換気を行って感染リスクを減らすことが重要である,と教えていただきました.そこでご提示いただいたのが二酸化炭素測定器です.人間が呼吸すると出る二酸化炭素の濃度を測り,換気ができていないと数値が上がってきます.厚労省は1000 ppm(二酸化炭素濃度)を基準値として示していますが(注:「良好な換気状態の基準」),われわれ料理屋としては800 ppmを目標とし,この値を超えた時点で換気をさせていただくことにしています.換気方法は対面の窓あけによる通風の換気や機械換気です.
ICTを利用し,Wi-Fiを経由してフロントで各部屋の二酸化炭素濃度を一括して把握しております.800 ppmを超えた部屋があれば仲居さんが換気しにいく仕組みです.部屋に二酸化炭素測定器を置いておくと,来店時に,お客さんの方から「これはなんですか?」と聞かれることがあります.聞かれなかった場合でも,こちらから「これは二酸化炭素測定器と申しまして,換気を行っております」とお伝えします.これにより,仲居さんが自然に換気をしにいくことができます.昨今,二酸化炭素測定器の存在が世に知られてきたので,お客様に驚かれることは少なくなりましたが,最初の頃はお客様にその存在を伝えると,「それって安心だよね」という声が返ってきました.この二酸化炭素測定器の存在や換気の実践が,「安心」の提供というサービスになっていることを実感しました.
平本:そのあたりは,意図的に,経営上の工夫として行っているということでしょうか.
田中:はい.コロナ禍の状況下で料理屋が付加価値として提供できるサービスは何か,ということを考えた時に,換気の見える化,感染対策の見える化があると考えました.
平本:京都大学のウイルス・再生医科学研究所の先生にお話を聞きにいくなどの取り組みは,どうやって始められたのですか?
田中:コロナ禍で商売ができなくなるという困難な状況に直面したときに,京都料理芽生会*2の中で有志のグループを作って話し合い,まずはウィルスのことに詳しい方にお話を聞きにいくことになりました.ウイルス・再生医科学研究所の先生にいろいろな料理屋をまわっていただき,どこにリスクがあるかを教えていただきました.それが1年ほど前のことです.
平本:そのような取り組みを始める問題意識はどこにあったのですか?
田中:料理屋や料亭は飲食店ではありますが,空腹を満たすだけの場所ではありません.たとえば庭を見ながら,器を見ながら,人と人とが接しながら,料理を食べる.そのような空間が衛生的に管理されていることもサービスのひとつである,と考えました.コロナ禍の前まではお客様に喜んでいただく,楽しんでいただくための空間でしたが,それに加えて,安心して楽しんでいただくためにはどうしたらよいか.これが問題意識でした.
ICTの活用
平本:来店されるお客さんの数が少なくなったというお話がありましたが,外食とは別の手段での商品・サービス提供,たとえば中食事業などには取り組まれていますか?
田中:ECサイトを活用しています.私どもはちょうど一昨年の11月に通販事業部を立ち上げました.いろいろな場所に出品し,ありがたいことに表彰もいただき,通販事業を本格化しようか,というところでコロナ禍になりました.その点では通販事業を始めておいて助かりました.
平本:通販事業部を一昨年立ち上げたとのことですが,もともと経営方針として取り組もうとされていたということでしょうか.
田中:元から通販事業を行なっていきたい思いはありましたが,店が忙しくなかなかそこに割く時間がなく,取り組めていませんでした.たまたま品評会への出品のお誘いをいただいたので,その機会に通販事業を始めました.もともと,私どもの店は支店を出すという経営方針がありません.デパートなどでピンポイントの出店は行いますが,支店は出しておりません.支店を出すとなると,良くも悪くも本店と味が変わったり,雰囲気が変わったりします.支店を出す代わりにECサイトをアンテナショップのように使うことにしました.ご来店いただいたことがないお客様については,京都に来た時に行ってみよう,と感じていただくためのきっかけになります.来ていただいたことがあるお客様にとっては,いまはちょっと京都に行けないけれど,久しぶりにあの味を楽しんでみよう,というふうに使っていただけます.
平本:通販事業部の売り上げはコロナ禍で伸びているのですか?
田中:ざっくりいって4−5倍になっています.昨年4−5月に緊急事態宣言が発出されたときに,普段来ていただいているお客様にお見舞いとして,「よかったらお召し上がりください」と書いた手紙を添えて通販の商品を贈りました.名物の水たきのお鍋のセットを全部で600セットほどです.そのお客様からご注文をいただいたり,他の方にご紹介いただいたりしたことが,通販事業部の売り上げ増に一役買いました.水たきのお鍋のセットは家にお鍋と器があれば召し上がっていただけるものです.ちょうど昨年4−5月の緊急事態宣言中は,スーパーに買い出しに行くことさえ世間に憚られるような状況でしたので,喜んでいただけたのではないかと思います.お客様からは逆に従業員用のマスクを贈っていただいたりで,助け合いです.
私どもの商売は基本的に受注生産ですので,あまり在庫を抱えるというようなことはございません.その意味では在庫を捌く必要はありませんので,少し躊躇はありましたが,お客様のことを考えてお贈りしました.昨年秋に少しだけコロナ禍が落ち着いたときに,お見舞いの品をお贈りした方に何組かご来店いただきました.コロナ禍で精神的にもまいっていて,食べるものに困っているなかで,水たきのお鍋のセットは大変有り難かったとおっしゃっていただけて,贈ってよかったと思いました.
平本:ECサイトなどの広告はどうされていますか?
田中:時代にあわせてFacebook,InstagramなどのSNSが主です.Youtubeチャンネルも開設しました.登録者数もview数もまだまだですが.
平本:京都の老舗料理屋さんでこうしたSNSの活用というと,少しイメージと違うと驚かれる人もいるかもしれませんね.
田中:私も最初は原価計算も献立も手書き,パソコンの開け方もわからない,という人間だったのですが,周りの人に教えてもらいながら,原価計算のために表計算ソフトを覚え,献立を書くためにワープロソフトを覚え,というように少しずつ慣れていきました.いまや自分で動画の編集までするようになりました(笑).
平本:京都料理芽生会が中心となって「おうちで料亭ごはん」という,地元農林水産品を活用したレシピの動画配信プロジェクトを展開されていますが,田中さんも関わってらっしゃるのですよね.
田中:発起人になっています.昨年4−5月の緊急事態宣言発出の折に,ただECサイトなどを使ってただオンラインで商品を売るというだけでなく,京都に来たいというお客様のニーズはあるはずなので,Youtubeを使い,動画で京都に来ているような疑似体験をしていただこうということを考えて事業を始めました.また,その動画で疑似体験しているものを実際に食べることができればなお良いので,レシピ動画にしました.他方このとき,飲食店が休業しているので,京都府産の農林水産物の物流が止まっているという問題もありました.このため地元農林水産品を使ったレシピの動画になりました.こうしてコンセプトが決まっていったわけですが,他のYoutubeなど観ていると,リレー動画というものが流行っていました.これを取り入れ,京都の老舗料理屋の料理人がリレー形式でレシピを紹介していくというものにしました.
平本:動画のクオリティが高いですよね.
田中:視聴者に京都の料理屋に入る疑似体験をしていただきたいので,必ず店舗の玄関を映し,店内の画も撮ります.このような普段使いの画をおさえたうえで,普段お客様からは見えない調理場を使って料理の様子を撮影するので,普段通りと普段と少し違う場面との組み合わせになります.コロナ禍で時間があったので,基本的にすべての撮影に私が同行し,ディレクターのような役割をこなしました.仲の良い料理人ばかりなので,相手のことをよく知っておりますし,料理屋の中のことがよくわかっているという利点があります.どの場面をどんなアングルで撮れば相手の特徴を活かすことができるかなど,細かな指示を出すことができました.
平本:料亭のお料理を家庭で作れると思っていなかった視聴者もいると思うので,レシピとしても価値が高いですよね.
田中:動画を撮影する際に,作り方は家庭向きで,でも出来上がりは料亭らしい料理を,というオーダーを先方の料理人に出しています.なかなか難しいお題ですが….
平本:他に,コロナ禍で取り組まれている事業や提供されているサービスはありますか?
田中:「京の食文化ミュージアムあじわい館」*3で京都料理芽生会のメンバーが入れ替わりで料理教室を行っているのですが,これをオンライン化しました.何度か試行錯誤を繰り返し,いまは5−6台のカメラで撮影しています.その中には手元カメラも当然含まれますが,これにより授業内容がわかりやすくなった,という声もいただいています.対面の料理教室ですと,どうしても講師を遠方から眺める人が出てくるので,そうした人にとって講師の手元の様子がわかりにくいという問題点があったのですが,オンライン化によってこの問題が解決されたということです.また,ただ動画を見ていただくだけでなく,事前に食材を送付し,中継での同時調理も行っています.すると,まるで講師がマンツーマンで自分に教えてくれているようだ,と喜んでくださるお客様もいます.
これからのホスピタリティ
平本:ここまでのお話を伺っていると,もちろんコロナ禍で料理屋さんの客数が減ったという事実は揺るがないにせよ,ICTなどを駆使していろいろ工夫されて,積極的に付加価値の高いサービスを提供されているというイメージを受けました.
田中:単純な売り上げは確かに減少しているのですが,客数が減った分,一人一人のお客様へのサービスを手厚くすることができています.大勢のお客様を相手に料理をお出ししていた頃は,どうしても細かなミスが生じたり,お客様をお待たせしてしまったりといったことが生じがちでした.今はそうしたことはほぼ生じませんし,それどころか,できた時間的余裕でお客様のためにもう一工夫を加えることができるようになり,料理のクオリティも上がっています.たとえば,これまではただ剥くだけだった食材に飾り包丁を加える余裕ができた,といったことです.
平本:未来のことは誰にも分かりませんが,もしコロナ禍が収まったとしても,繁忙期には団体客が押し寄せて連日のように宴会が開かれる,という状況には戻らないように思うのですが,コロナ禍が落ち着いた後にどんなお客さんを対象にどんなサービスを提供していくか,ということについてのイメージはありますか?
田中:コロナ禍と無関係に,すでに4年ほど前から,私どもは経営方針を変更していっていました.まず,私どもは海外からのインバウンド客をターゲットにしておりませんでした.ターゲットである日本人の人口減少率のことを考えると,団体集客はどうしてもなくなっていきます.すでにこの15−20年で客層が大きく変化し,宴会のお客様は大幅に減少しておりました.そのため営業も団体客向けではなく,個人客向けに切り替えました.コロナ禍に入り,去年の秋になると,Go To EatやGo To Travelなどの補助の影響もあったのか,客単価が倍以上に上がりました.なおかつ良いお客様が来られて,こちらのサービスも手厚くすることができる.コロナ禍が少し収まっていた時期には,リピーターさんも増えていました.いってみれば,コロナ禍で,自分達の経営方針に自信をもつことができました.この方針を続けていきたいと思います.
平本:世間の一般的なイメージとして,老舗料理屋さんの経営者というと,これからの社会を見通して策を講じていく人物であるというよりは,昔ながらの文化ややり方を守り育むことに力を注ぐ人だというイメージがあると思うのですが,お話を伺っていると,とても先進的な方もおられるのですね.
田中:京都の料理人たちは,びっくりするほど先のことを考えて動いています.たとえば,最近の小学校の学習指導要領にはお出汁の項目が含まれているのですが,これはもともと京都の料理人たちが,和食離れの進行を危惧して,食育事業を始めたことと関わっています.また,京野菜のブランド化にも京都の料理人たちは大きな役割を果たしました.日々大きく状況が変化する業界に身を置いていますから,自分の危機感を明確に定義し,それを解決していくことに長けていなければ商売を続けていけません.先見性をもっていなければ料理人はできない,という空気の中で私も働いてきました.
平本:料理屋さんは人と人とが接し,お客さんのニーズを汲み取りつつ臨機応変に対応していく商売ですが,働き手のほうも人口減少で減っていく世の中で,どうすればおもてなしの質を維持していくことができるでしょうか.
田中:先ほどから述べているように,私どもはお客様の数を減らし,一人一人に手厚くサービスを提供していくあり方に変えていこうとしています.たとえばですが,わたしは昨年から,コロナ禍でできた時間を利用して,庭園を自分で手入れするようにしました.この庭園を,より深くお客様に味わっていただくようなサービス提供の仕組みに変えようとしています.具体的には,お客様の動線を変えて,庭園側の入り口から入っていただき(注:現在はこれとは別の正面玄関を抜けて座敷に通される動線になっている),手水鉢で手を洗ってコロナ対策をしっかりしていただいたうえで,庭園を通って眺めを楽しみながら座敷に上がる,というかたちを考えています.こうすればお客様同士が会う機会も減るので,その意味でも感染対策になります.規模を縮小し,少ない人数でも一人一人のお客様に手厚くサービスを提供できるようにし,客単価を上げてリピーターを増やしていくことによって,おもてなしの質を高めていくことができると考えています.
平本:なるほど.今日は興味深いお話をありがとうございました.
著者紹介
田中良典
明治二十一年創業「京料理鳥米」の六代目.専門調理師・調理技能士.野菜ソムリエや利き酒師などの資格も有し,自店の料理に留まらず,国内外に食文化の魅力を次世代につなげる活動にも従事.
平本 毅
京都府立大学文学部和食文化学科准教授. 博士(社会学).京都大学経営管理大学院特定講師などを経て,2020年より現職.主として接客場面の会話分析研究に従事.
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脚注
- *1 松尾大社の鳥居横で鳥料理を商う老舗京料理屋.田中良典氏はその6代目当主.
- *2 京都の老舗料理屋の若旦那による相互扶助組織.昭和30年創立.
- *3 京都市中央市場に併設された,京都の食文化の体験施設.