コロナウィルス感染症COVID-19のグローバルな広がりは,私たちに多くのことを教えてくれ,多くの課題の存在を白日のものにしつつある.感染症対策の基本であるソーシャル・ディスタンシング(本稿の意図からすれば社会的距離ではなく,物理的距離 フィジカル・ディスタンスと言う方が妥当.オンラインにより物理的に離れてもソーシャルなつながりは実現しうる)が「新しい生活様式」であるということは受け入れるが,しかしこれはCOVID-19を社会的にコントロールできる(このような言い方は正直意味不明であいまいなのだが,ワクチンや治療薬,そして集団免疫で対応可能な状況にすること)ようになったならば,本来,解除されるべきことである.人間はソーシャル・ディスタンシングを保って生きていけるようなものではないし,不要不急のものなしにも生活できない.そんな生活は人間が人間らしい生き方を否定するものである.

とはいえ,すべて元通り復旧すればいいというわけではなく,リモートワーク,オンライン診療,行政手続のデジタル化,オンライン教育など,すでに政府や企業,学校等で計画を持っているし,技術的にも十分に可能であるにもかかわらず,日本社会において大きく立ち後れている,これらのデジタル化について社会的なインフラとして普及確立することが求められる.COVID-19への対応としてこの3ヵ月ぐらいの間で急激に対応を迫られた,これらのデジタルの社会生活への浸透は巨大な社会実験と言ってもよいだろう.

本コラムでは,そのオンライン教育についての現状と今後について私見を述べたい.

現在(5月25日時点),全国のほとんどの大学では対面授業をやめ,オンライン授業が展開されている.小・中・高校では多くが休校であり,休校中,ごく一部の学校ではオンライン授業などが実施されている.早い大学では,3月にはオンライン授業の方針を決めて4月開講からオンライン授業を全面的に実施したところもあれば,本務校の京都大学のように,4月は準備等のため休校とし5月連休明けからオンライン授業を全面的に実施したところも多い.多くの大学教員はこれまで対面授業のみで,LMS/CMS(学習支援・授業支援システム)を活用する教員も多くなかったと思われる.あくまでも一部の大学教員のみが,LMS/CMS,MOOC/SPOC(大規模・小規模オンライン講義サービス)などオンラインツール/環境を大学教育に導入していたに過ぎなかったのである.そういう中で,全国の大学教員が一斉にオンライン授業に取り組んでいる.やり方はさまざまである.非同期型の対応であれば,テキストや教材を配布し課題を提示しフィードバックするというもの,講義動画を制作して配信するもの(オンデマンド型)などがある.同期型の対応であれば,Zoom等でオンライン・インタラクティブなミーティングの場を用意して,講義・質疑応答・グループ討論などを行うものがある.大学教員も学生も慣れない新たな取り組みであるが,互いに懸命に取り組んで授業を実践している.大学の情報教育等の担当などがオンライン授業展開のためのサポートもすすめ,役立つ情報の作成公開もすすんでいる.大学教員間,学生間でコミュニティが生まれ,互いにオンライン授業の進め方や問題などを共有し,学び合うことも広がっている.困難はあるけれども,試練に対する挑戦を通じて,教員・学生ともに意欲的に体験的にオンライン授業というものを学習し探求していると言ってよい.

さまざまな対面授業があるように非同期・同期のオンライン授業もいろいろである.対面授業で工夫をして学生参加をすすめている教員の中ではオンラインでは対面のようにうまくいかないという声も出ている.それはそうかもしれない.しかし,人間の環境適応能力とテクノロジーの進化もあって,おおむね「フツー」にオンラインライブ授業も対面授業のように講義・質疑・グループ討論などができると見た方が良いだろう.PCをずっと見ていると疲れるとか,通信のズレとかでややぎこちないときもあるとか,講義動画収録の場合無観客での収録は難しいとか,いろいろ難はあるが,おおむね教育目標=学習目標を達成するためにさまざまな教育方法を実施するということは可能である.「イノベーションのジレンマ」のように,高いレベルの対面授業と比較したら低いレベルのオンライン授業は採用の対象にはなってこなかったのであるが,オンラインでしかできない状況と割り切れば,一定の効果のある授業を実施することは十分に可能になるし,教員・学生双方の工夫や適応により,オンライン授業のレベルが向上していくことでオンラインでも十分な効果のある授業になるというような変化が起こっていくだろう.

さらに,オンライン授業で新たに気づく,実現される教育の価値というものもある.オンデマンド型の講義動画配信の場合は,学生が自ら何度もわからないところを繰り返し見て理解を深めることができるのがよい,という意見が出されている.確かに対面型授業は多くの場合学生の理解度に合わせて講義をストップしたり説明し直したりなどということはなされず,ときには学生を置き去りにしてしまう.また,オンライン同期型の授業ではチャットや投票(アンケート)を実施することで,学生からの質問や意見を募集して,それを見て回答するなどのインタラクティブな授業が実現している.学生もチャット形式だと気軽に書き込めるし,教員も「こんな質問,こんな感想があるんだ」と発見もあり,授業が活性化する.対面大規模授業では,リアクションペーパーなどで同じようにできるが,しかし厳密には同時ではない.チャットだと疑問に思ったそのときに書き込まれ,教員もそれを見て即座に対応回答することができるという即時性が授業の効果を高めることになる.

より発展的にとらえると,講義動画を配信し,それにもとづいてオンライン同期型の授業を行うというセットで組み立てることで,いわゆる「反転授業(flipped classroom)」が実現する.私も今年は新入生向けのセミナーでこのようなやり方を実施している.これにより授業において講義することに多くの時間がとられてしまって,結局,個別の学生の理解への対応や発展的な議論をする時間がないという問題が解決する.すなわち,学生は事前に講義動画を見て理解し課題に取り組み,授業では個別にわからないところなど,学生の多様な理解レベルに応じた個別指導をすすめたり,講義の内容を発展させたテーマについてのディスカッション,グループワーク授業などのアクティブラーニングが展開できる.対面型授業ができるときでも教育におけるデジタル活用をすすめ,対面型授業とオンライン授業のブレンド型の学習環境こそ,今後広げるべきものだろう.MOOCやSPOCなどのオンライン講座,オープンエデュケーションは教育機会の拡大という意義もあるが,同時に反転授業による教育の質の向上というように見ることが重要である*1.そして,紙数の制約があるので詳論しないが,オンライン授業では学習履歴がデジタル記録として収集することができ,これが授業の評価・改善に活用できるという点が大きな強みである.対面型授業はしばしば教師の主観,職人的な議論に終始してしまいがちなのに対して,データにもとづく教育改善が展開できるのである.

最後に,とはいえリアル対面が不要不適切なのだと主張するものでもない.オンライン授業の良さを認めながら工夫すれば工夫するほど,リアル対面の価値が浮かび上がる.人間が学ぶというのは単に言語情報だけではない.人の姿や行動からも学ぶだろうし,1対1の問答の繰り返しからも学ぶだろうし,古文書のような原資料に向き合うことでも学ぶだろうし,実験やフィードワークでも学ぶだろう.これらは五官を通じた人間の総合的な感覚,体験にもとづく学びであり,これはオンラインだとかなり制約を受ける.逆にオンラインで不足した情報をなんとか補おう,読み込もうとオンライン疲れなども指摘されている.オンラインがリアル,生(なま)ではないなどということはなく,これも新しいリアルであり生なのだろうが,やはりリアル,生が人間の生きる,学ぶ基盤であるということを思うのである.今回の危機が教育イノベーションにつながることを期待したい.

著者紹介

若林 靖永

京都大学経営管理大学院経営研究センター長・教授.京都大学経済学部卒業,同経済学研究科修士課程修了,博士後期課程満期退学,博士(経済学).CIEC(コンピュータ利用教育学会)会長,京都市伝統産業活性化推進審議会会長,NPO法人 教育のためのTOC日本支部理事長,京都大学生活協同組合理事長など.

  • *1 オンライン教育,オープンエデュケーション等については飯吉透 京都大学高等教育研究開発推進センター長へのインタビューを参照.
    https://www.ciec.or.jp/special/entry-1247.html

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