本コラムは、産業戦略研究所代表の村上輝康氏によるコラム「ムラカミロジー」のvol8で、2本に分けてお届けします。本稿はその2本目です。
1本目:ムラカミロジー (8):日本のサービス学研究の独自性―「生活者ドミナント・ロジック」の提案①を読む(リンク)。
4. 「生活者ドミナント・ロジック」とは
このような特性と広がりを持った「生活者」を鍵概念とする生活者ドミナント・ロジックは、伝統的マーケティングにはじまり、バーゴらのサービスドミナント・ロジック(以下、SDL)、グルンルースらのサービス・ロジック(以下、SL)、ハイノネンのカスタマードミナント・ロジック(以下、CDL)と続くこれまでのサービス学研究とどのような関係にあるのだろうか。
それを二次元の空間でみたのが、図5である。この図は、横軸に、モノとサービスという取引の対象を表しているが、サービスについては、SDLにおけるサービシーズ(アウトプットの単位としての個別の具体的なサービス)とサービス(他者のベネフィットのため、あるいは自身のベネフィットのため、主としてナレッジおよびスキルといった資源を使用するという本質を示す概念としてのサービス)の定義をふまえて、2つに分けており、モノ、サービシーズ、サービスの3つの要素からなっている。
また縦軸は、取引をする主体を表しており、市場取引の枠内で活動し経済的効用を求める「利用者」に対して、必ずしも市場の利用を必須とせず、経済的効用を越える幸福としてのウェルビーイング、つまりアリストテレス以来のギリシャ哲学の言葉を使えば、日常の喜びや快楽的幸福を表す、へドニアとしての感情的なウェルビーイングを求める「生活者」が対置される。さらに、日常生活を越えた、社会的・政治的・技術的な生活を含む生活一般において、人間的な成長や自己実現的幸福を表す、ユーダイモニアとしての人生評価におけるウェルビーイングを求めるのが「広義の生活者」である。「広義の生活者」は、「人間(=human being)」ほど一般的でなく、あくまで生活を通じて、日常生活の満足や快楽を越えた、人生評価における自己成長や自己実現を目指す存在としての、より長期的な生活者の在り方を示しており、「生活者」との対比においてはまさに「広義の生活者」であるが、以下、本稿では「広義の生活者」を、これまでも時に生活者の類義語として用いられることのある「生活人」として表示したい。「生活者」が個々のサービスの利用シーンに対応するのに対して、「広義の生活者」は、より長いタイムスパンのサービス利用に対応して、人生そのものに関わるウェルビーイングに対応する存在であるため、「者」より広義の「人」を「生活」に付ける「生活人」という表現を便宜的に行うものとする。これは一般的な「生活人」という用例が、必ずしも「広義の生活者」を意味していることを示すものでは無く、へドニアを追究する「生活者」とユーダイモニアを追究する「広義の生活者」の間の差異を際立たせるために本稿で用いる、特殊な言葉の用い方である。
いわゆる幸福学における幸福の定義には、まだ一般化されるほどの定義は存在しないと思われ、へドニアとユーダイモニアの弁別についても現在、さかんに議論が行われているところである。ここでは、所得と幸福感の関係について論じたカーネマン&ディートンが用いたemotional well-beingとevaluation of lifeという言葉を引用し、感情的ウェルビーイングに、人生評価におけるウェルビーイングを対置させて、へドニアとユーダイモニアを捉えていることを断っておきたい。
この取引の対象と取引の主体という2軸を用いると、従来のグッズドミナント・ロジックに基づく取引の対象者となる「消費者」は、細い実線で囲まれた「モノ×利用者」というカテゴリーに入ると考えられる。モノだけでなく、伝統的なマーケティングの対象となる個別のモノやサービスの取引の対象者となる「顧客」は、図5の細い点線で囲まれる定義域を持つと表現できる。

このような表記法を用いると、伝統的なマーケティングに対して、革新的なパラダイムを提示したバーゴらのSDLは、図6のように表すことができる。SDLは、2004年にはじめて世に出た時には、基本的前提は、FP1からFP8までで、まだマーケティングの新しいパラダイムという特性が強く、取引の対象者は従来通り「顧客」という言葉が使われていた。図6では、赤色の細い点線で表される、市場取引における個別サービスを対象とする「利用者×サービシーズ」のカテゴリーの「顧客」にあたる。それが、2006年に発表された論文では、FPはFP9まで増加し、はじめて価値共創の概念が導入された。そして、それは、個別のサービスのマーケティングについて論じるだけでなく、サービスというものの本質を9つのFPで明らかにしようとするものであり、SDLの定義上、サービシーズとサービス一般を含むことになる。図6でみると、緑色の実線で囲まれた「利用者×サービシーズ・サービス」のカテゴリーの「価値共創者」を対象者とすることになる。SDLは、さらに2008年には、顧客はより一般的な経済的アクターと社会的アクターからなるアクターとなり、オペラントとオペランドという資源概念と、現象学的に判断される価値の概念が導入されて、アクターは資源統合者と表現されるようになる。これによって、図6で示されるように、価値共創者は、生活者のカテゴリーを包含する黄緑色の点線で囲まれる「利用者・生活者×サービシーズ・サービス」の資源統合者に変化する。SDLは、さらに進化を続け、2016年には、公理Axiomが体系化され、サービスエコシステムや制度や制度配列の調整という概念が導入され、その対象は、政治・社会・技術といった生活人のカテゴリーに及ぶものと思われるが、そのにじみ出しの範囲は容易に特定できないので、図6では、資源統合者までを表示するにとどめている。

SDLに対抗して出現してきた北欧学派のグルンルースらのSLは、先述したように利用者の価値創造に着目したものであるが、このサービス学は、あくまでプロバイダーのプロミスを通じた顧客の価値創造のプロセスへの働きかけを前提にしている。そのため、サービシーズを主要な対象にしていると思われ、図7の枠組のなかでは「利用者×サービシーズ」のカテゴリーを主要な対象としていると考えることができる。しかしながら、SLが、個別のサービスのマーケティング的な側面の分析だけにとどまり、SDLのようにサービスの本質を解明しようとする取組みが無いと考えることはできない。ただ、あくまで主要な関心は、プロバイダーによるプロミスを介して個別のサービスの満足度を向上させる価値創造のプロセスに関心があると思われるため、図7においては、「利用者×サービシーズ」の部分を濃い色で表し、「利用者×サービス」のカテゴリーにむけて、グラデーションが薄くなっていくように表現し、「利用者×サービシーズ・サービス」の主体を価値創造者としている。ちなみに、SDLの場合には、あくまでサービスの本質の解明が主要な目的で、個別のサービシーズの分析は副次的なものと思われるため、逆に、サービスからサービシーズにむけてグラデーションが濃い状態から薄い状態へと遷移するようになっている。
グルンルースらのSLに対して、企業に対して顧客に力点を置くことは是としつつも、顧客固有の振る舞いの究明の重要性を強調したハイノネンのCDLは、図7の枠組みで見ると、市場取引の対象者としての利用者を越えてより広範なウェルビーイングを求める生活者のカテゴリーを包含するものであることは確実である。そのため、少なくとも図7では黄色の点線で囲まれた「生活者×サービシーズ・サービス」のカテゴリーまでを対象とする。ハイノネンは、顧客エコシステムという概念を用いて、顧客の振る舞いだけでなく、顧客を含むエコシステム全体の振る舞いを把握することが重要であるとしたが、そこでは顧客はエコシステムの一部として定義されており、資源統合者や価値創造者という特定の者として特定することができないため、図7では単に「顧客エコシステム」としている。ハイノネンの場合も、顧客エコシステムが、生活者のカテゴリーを含むことは確実であるとしても、SDLにおける資源統合者と同様に、それが生活者を越えてどのくらい生活人のカテゴリーを包含するのかについては、にわかには判断しがたい。このため、図7では、顧客エコシステムは、生活者のカテゴリーまでとしている。

以上のような、伝統的なマーケティングから、SDL、SL、CDLへと続くサービス学の研究パラダイムの進化のなかで、CDLのさらにその先に位置づけられ得るパラダイムとして生活者ドミナント・ロジックが着想された。一方で、「生活者」という概念そのものは、価値共創者や価値創造者のように、サービス学研究を前提としたものではない。このため、サービス以外のモノに関わる振る舞いについても対象とする。つまり、図8の横軸でみると、サービシーズ、サービスだけでなく、モノも含むものである。縦軸でみると、当然、「生活者」のカテゴリー全体ということになるが、図1の村松の定義する「生活世界」に生きる「生活者」は、必ずしも市場の利用を必須としないが、市場の利用を排除する訳ではない。したがって、生活者を指し示すカテゴリーは、利用者のカテゴリーも包含して、図8の青色の太い直線で囲まれる領域がその対象となる。同様に、生活人についても、同じく、モノに関わる行動についても対象としつつ、縦軸では、利用者、生活者も包含する概念であると考えられるため、図8の太い水色の点線で囲まれる領域が「生活人」の領域を示すことになる。これが「生活者」と「生活人」のカテゴリーであるが、サービス学の対象としての生活者ドミナント・ロジックは、定義的にモノを対象とする部分を含まない。

したがって、サービス学としての生活者ドミナント・ロジックは、図9の太い赤線で囲まれる領域がその対象となる。同様に、生活人までを含むサービス学の領域は、図9の赤色の太い点線で囲まれる領域であり、広義の生活者ドミナント・ロジック対象領域となる。これをあえて生活人ドミナント・ロジックと呼ばずに、広義の生活者ドミナント・ロジックとするのは、狭義の生活者ドミナント・ロジックも広義の生活者ドミナント・ロジックも、「利用者」が経済的効用の実現を求めるのに対して、へドニアを追究する「生活者」とユーダイモニアを追究する「生活人」の違いはあるが、ドミナント・ロジックとしては、いずれも経済的効用を追究するドミナント・ロジックと直交する、幸福を追求するドミナント・ロジックとして、同じカテゴリーに属するドミナント・ロジックであると考えられるからである。したがって広義の生活者ドミナント・ロジックも狭義の生活者ドミナント・ロジックも、「生活者ドミナント・ロジック」の二つの形態であるが、このふたつのドミナント・ロジックを意味する時は、必ず括弧をつけて「生活者ドミナント・ロジック」と表記する。そして、単に生活者ドミナント・ロジックという場合は、狭義の生活者ドミナント・ロジックを意味する。
結果として、この狭義の生活者ドミナント・ロジックである生活者ドミナント・ロジックは、図6のSDLの資源統合者、図7のCDLの顧客エコシステムと同じ領域を対象とすることに留意する必要がある。ただ、SDLが、サービスからサービシーズにかけてグラデーションが濃い状態から薄い状態へと遷移し、CDLが、逆にサービシーズからサービスにかけてグラデーションが濃い状態から薄い状態へと遷移するのに対して、生活者ドミナント・ロジックは、サービスの本質論とサービシーズの個別論の両方を同程度に対象とするため、グラデーション表現をしていない。。その場合、広義の生活者ドミナント・ロジックと広義のSDLやCDLとの最終的な相違は、「生活人」のカテゴリーを含むかどうかの相違ということになる。
以上の議論を総合して、あらためて、生活者ドミナント・ロジックを定義すると、生活者ドミナント・ロジック、つまり狭義の生活者ドミナント・ロジックのサービス学は、『社会システムの中の、日常的な生活文脈の全体像である「生活世界」において、必ずしも企業ー顧客関係を必須としない、経済的効用を越える、へドニアとしての感情的ウェルビーイングの実現を求める「生活者」が、べつの生活者、利用者や、それらの組織に働きかける時に起こる共創的な価値現象の本質や構造、メカニズム等を究明しようとするサービス学』である。
同様に、広義の生活者ドミナント・ロジックのサービス学を定義すると、『社会システムの中にあって、日常的な生活文脈の全体像である「生活世界」を超える、社会や政治、技術に関わる生活を含む抽象的な生活一般の、ユーダイモニアとしての人生評価におけるウェルビーイングの実現を求める「生活人」が、べつの生活人、生活者、利用者や、それらの組織に働きかける時に起こる共創的な価値現象の本質や構造、メカニズム等を究明しようとするサービス学』となる。
そして、この狭義の生活者ドミナント・ロジックに、広義の生活者ドミナント・ロジックを加えたサービス学が、「生活者ドミナント・ロジック」のサービス学である。

5. 生活者ドミナント・ロジックの研究事例
では、具体的に、生活者ドミナント・ロジックのサービス研究とは、どのようなものをさすのだろうか。これを、冒頭のホー・バックとの議論の際に、筆者がこれまでのサービス研究の独自性を示す事例として表1にあげたリストを用いて、各々のカテゴリーに入る研究がどのようなものかを図10に例示してみたい。
まず、市場取引を前提とした利用者を対象とした研究としては、個別のサービシーズを対象とする細い点線で囲まれたカテゴリーで、高級ホテルや料亭等のハイコンテクストサービスのサービス設計についての研究や、浅間一(東京大学)の技能教育サービスのような個別サービスにおける経験価値の可視化研究があげられる。エスノメソドロジーや行動計測等によって、より抽象的にサービスの特性をさぐるサービス工学や、信頼性や応答性といった個別のサービスの品質に関するサービス測定も、この「利用者×サービス」のカテゴリーに入る。

市場取引を前提としない生活者を対象とする研究では公共サービスイノベーションの研究が典型的であるが、このリストの中では、藤村和宏(本研究時は香川大学)のがん治療を対象とした便益遅延性研究や、自分の意思を良く表現できない被介護者に対する村井純(本研究時は慶應義塾大学)らの介護サービスにおける「気づき」の研究も、このカテゴリーに入る。また、生活者を対象として、より抽象的にサービスの特性を探求しようとする「生活者×サービス」のカテゴリーに入るものとしては、実際の生活空間をフィールドにして、新しいサービスのプロトタイプをリアルタイムで試行しながら開発・評価する、一連のリビングラボ研究や、サービスフィールド・シミュレーターやテキストマイニング等の手法を活用する非市場的サービスを対象とするサービス工学が該当する。また、サービスデザインも、個別のサービシーズを対象にするだけでなく、公的サービスやプラットフォームサービス等の分野で、サービスの本質に関わる考察からスタートする研究は、このカテゴリーに入ると思われる。
日常生活を越えるより抽象的な生活者としての生活人について、個別のサービシーズを対象とした「生活人×サービシーズ」のカテゴリーの研究としては、予定調和的な価値共創を越えた切磋琢磨の価値共創としての「おもてなし」の中に「見立て」や「おもんばかり」「すりあわせ」という本質的な構造を明確化した原良憲ら京都大学のおもてなし研究をあげることができる。また、金融サービスについて共創価値測定尺度の開発を行った戸谷圭子(明治大学)のFKE研究もこのカテゴリーに入ると思われる。より抽象的な「生活人×サービス」のカテゴリーに入る研究としては、白肌邦生(北陸先端科学技術大学院大学)やホーらによって立ち上げられてきたTSR(Transformative Service Research)研究においてユーダイモニアとしてのウェルビーイングとサービスの関係に切り込んだ諸研究があげられる。
また、第3章において言及した根本による、不登校問題という、日常生活者の生活世界とはレイヤーの異なる生活人(中学生や高校生も人生全体に関わる大きな問題に対峙しようとする存在であるかぎり、生活人である)の人生そのもののユーダイモニアに関わる問題を、サービスのフレームワークを用いて解明しようとした研究は、この「生活人×サービス」のカテゴリーの典型的な研究であるといえる。根本以外にも不登校の問題をサービスという視点で解明しようとする取組みが見られるし、多くの若い研究者がこの「生活人×サービシーズ」や「生活人×サービス」の分野に、通り一遍でない挑戦的なテーマを設定して取組みつつあるのには頼もしいものを感じる。
本章でとりあげた利用者・生活者・生活人とサービシーズ・サービスに関わる6つのカテゴリーの典型となる研究事例の検討の結果として言えることは、日本のサービス学が伝統的なマーケティングや、SDL、SL,CDLとの対比において独自性を確立するために、「生活者ドミナント・ロジック」なサービス学として発展していくためには、この赤の太い直線で囲まれた領域の中でも特に、「生活者×サービシーズ・サービス」のカテゴリーに関わる研究をさらに発展させることが重要であり、すでにそのような研究が具体的な姿をとって日本のサービス学において展開されているということである。加えて、国際的にもまだフロンティアの分野が広がっている赤の太い点線で囲まれた領域の中の生活人に関わる研究のなかでも特に、「生活人×サービシーズ・サービス」のカテゴリーに関わる研究を、今後はさらに深く広く探求していくことが死活的な重要性をもつ。そして、その萌芽的な研究事例もすでに高い品質をもって大きな産声をあげているのである。このような生活者ドミナント・ロジックや広義の生活者ドミナント・ロジックからなる「生活者ドミナント・ロジック」のカテゴリーの研究は、日本のサービス学研究が占有できる性質のものではなく、海外でもウェルビーイング研究やTSR研究等の分野において類似の研究が展開されるものと思われる。実際に、ハイノネンがストックホルムで発表した論文には、「データ生活を誘導するウェルビーイング中心フレームワークにむけて」という副題がついている。しかしながら、この分野での日本のサービス学研究が、数と品質において圧倒的に他を凌駕し、強みと機会を提供する分野となり、今後、特異な経路をたどると思われる日本の経済と社会に大きく貢献するとともに、国際社会の将来にも貢献できることを期待したい。
日本経済は、成長力が傾向的に低下するなかで人口減少が本格化するという構造的な危機に直面している。日本経済の潜在成長率は0.5%前後に下落してきているが、国内市場規模や労働力供給の拠り所となる人口は、年率0.9%程度で減少していこうとしている。。そして、生活者の価値観も確実に経済的効用だけでなく、へドニア、あるいはユーダイモニアとしてのウェルビーイングを重視する方向に変化しつつある。日本生産性本部は、このほど70年の生産性運動の歴史の中で二度目となる生産性白書を発刊したが、そこではウェルビーイングという言葉が随所で使われ、「高付加価値経営」という視点から生産性を問い直す必要性が謳われている。また、経団連でもそのサステイナブル資本主義論においては、ウェルビーイングがその社会的な目標像に組み込まれている。経済団体のような場でも、ウェルビーイングは、正面から議論されるテーマになりつつあるのである。ただ、ウェルビーイングを軸にした経営がどのようなものであるかについての模索は、まだ混迷を極めているようにみえる。そのような構造的な変化の中で、サービスの提供者である企業のサービスへの基本姿勢も転換を迫られる可能性がある。その方向付けの拠り所を得るためにも、「生活者×サービシーズ・サービス」や「生活人×サービシーズ・サービス」のカテゴリーを対象とする「生活者ドミナント・ロジック」のサービス学の豊かな研究蓄積のはたす役割は今後ますます大きくなるはずなのである。
6. まとめー日本のサービス学研究の独自性
このようにして、日本のサービス学の独自性確立の糸口が「生活世界」にあるのではないか、という村松潤一の問題提起からはじまった、サービス学フォーメーションWGの検討は、グローバルなサービス研究の流れのなかに、日本のサービス学の独自領域を、生活者ドミナント・ロジックと広義の生活者ドミナント・ロジックからなる「生活者ドミナント・ロジック」として位置づけることができるのではないか、という仮説をかかげるところまできた。最後に、図11を用いて、本稿で展開してきた日本のサービス学の独自性についての論考を取り纏めておきたい。
図11は、「経済的な豊かさ」を表す「豊かさ」と、「生活における幸せ」を表す「幸せ」という社会システムの基本目的を二軸として直交させて、これまで本稿で取り上げた論点を、単純化して模式化したものである。本稿では、村松の「生活世界論」を、伝統的なマーケティング論から、SDL、そしてSL、さらにはCDLと展開してきたサービス学の基本的なパラダイムのいちばん外側に位置づけた。村松は、その生活世界論を、あくまで市場取引を前提とするドミナント・ロジックに対峙するものとして提示しており、その市場世界論の内実については、「豊かさ軸」から、「幸せ軸」に振り切るまでの議論をしていないため、SDLや、SL、CDLの外側に位置づけてはいるが、豊かさ軸を上向するものとはしていない。対照的に、ハイノネンのCDLについては、陽表的にウェルビーイング研究に切り込んでいっているため、一部、幸せ軸のプラスサイドに食い込む形にしている。
それに対して、サービス学会の設立の直後から、ウェルビーイング研究をサービス学に積極的に取り込もうとした白肌らの研究は、明白にサービス研究の評価軸を、豊かさ軸から幸せ軸に切り替えている。それは、ローレル・アンダーセンらによるTSR研究が志向しているものでもある。

さて、本稿で提案した日本のサービス学研究の独自性発揮の場としての「生活者ドミナント・ロジック」は、このようなフレームワークの中ではどのように位置付けられるのであろうか。「生活者ドミナント・ロジック」は、へドニアの実現を志向する狭義の生活者ドミナント・ロジックと、ユーダイモニア実現を志向する広義の生活者ドミナント・ロジックを包含するものとして提案された。したがって、豊かさ軸でなく幸せ軸のプラスサイドに位置づけられる。それは、一般のウェルビーイング研究やTSR研究も同じである。
それでは、日本のサービス学研究の独自性を担保するフロンティアとしての「生活者ドミナント・ロジック」が向かうべき領域はどこにあるのだろうか。それは、幸せ軸を上向すると同時に、豊かさ軸も上向しようとする第1象限のサービス学である。いわゆるウェルビーイング研究は、豊かさ軸追求のアンチテーゼとして出てきているために、ともすると豊かさ軸の追求を無視しないまでも、一旦括弧の中に入れて幸せ軸を追求する。TSR研究は、そこまでかたくなではないと考えられるが、基本的には豊かさ軸の追求とは一定の距離を置いているものと思われる。
それに対して、「生活者ドミナント・ロジック」は、評価関数を大きく豊かさ軸に振って、へドニアとユーダイモニアを追究するのであるが、同時に豊かさ軸の追求も行うドミナント・ロジックとして、その独自性を発揮すべきと考える。チャールズ・オライリーは、知の深化と知の探索を同じ組織の中で分けて、同時に推進する両利きの経営の重要性を主張したが、「生活者ドミナント・ロジック」も、へドニアとユーダイモニアの幸せ軸を追究すると同時に、豊かさ軸の追求も行う、両利きのサービス学を目指すべきである。
筆者には、一般のウェルビーイング追求の議論は、21世紀第一四半期に西欧文明が到達した状態を文明一般の到達点として、地球環境全体として、その到達点をいかに維持するか、という発想を拠り所にしているようにみえる。ウェルビーイングの議論は、脱成長論や経済成長不用論との親和性が強いのである。しかしながら、激しい人口減少が超高齢化と同時に進行するこれからの日本経済において社会システムを維持していくためには、これまでのように株主還元の最大化や経済成長によるがむしゃらな経済規模の拡大を志向しないにしても、人口減少に抗ってイノベーションによる1人当り付加価値の向上を志向することを断念することはできない。それをサービスイノベーションの全面展開によって実現すべき、というのが日本サービス大賞という手段を用いてサービスイノベーションの重要性を長きにわたり主張してきた筆者の持論であるが、それを拠り所にして日本のサービス学研究の独自性を追究しようとする時には、このような幸せ軸の追求と豊かさ軸の追求の両利きのサービス学にならざるを得ないのである。
筆者は、新井民夫との共編著の「サービソロジーへの招待」において、狭義のサービス学としてのサービソロジーの3要素として、①手段としてのサービスへの科学的・工学的アプローチと、②理念としてのサービスドミナント・ロジックによる価値共創と、③目的としてのサービスイノベーションをあげた。このうち、②の理念の部分は、本稿で言及したように、SDLに止まらず、SLやCDL、さらにはウェルビーイングやTSRと、時代の変遷に伴って変化していく可能性がある。しかしながら、①の手段としての科学的・工学的アプローチと、目的としてのサービスイノベーションは、変わっていない。日本のサービス学がいかにウェルビーイング志向を強めるとしても、その最終的な目的は、疲弊する日本経済のGDPの7割以上を占めるサービスの付加価値を向上させる、サービスイノベーションの全面展開をもたらすことへの貢献でなければならない。
そこでは、幸せ軸と豊かさ軸を両利きで追求する「生活者ドミナント・ロジック」の研究が持続的に生成されるのが理想的ではあるが、研究自体が豊かさ軸志向を強く持っていない場合でも、その幸せ軸志向のサービス研究が強い社会実装志向さえもっていれば、幸せ軸志向のサービスイノベーションを生み出すことができ、それが豊かさ軸に作用することになる。それにグローバルな社会実装志向が加われば、その貢献はさらに強力になる。
19世紀の実存主義哲学者、セーレン・キルケゴールは、その若き日の著作において美的人生と倫理的人生を対置して「あれか、これか」と問い、「あれか、これか」を実存が自由に選択すべきとした。それに対して、「生活者ドミナント・ロジック」の両利きのサービス学は、「あれも、これも」を追究する。若きキルケゴールは、「あれか、これか」を突き詰めて選択することが人生だと考えたが、若き日にキルケゴールを読み、今、日本社会において後期高齢者として生きる筆者には、美的人生と倫理的人生を対置して「あれか、これか」と突き詰めることより、複雑性を受容して、美的人生と倫理的人生の「あれも、これも」の絶妙なバランスを追求するところにこそ人生の真髄が存在するように思える。
日本のサービス学が、SDL、SL、CDLと豊かさ軸をたどって進んできたサービス研究の先に独自性を追究するのでなく、また豊かさ軸を幸せ軸に切り替えてウェルビーイング志向を強めるだけでなく、その両方を両利きで追求しようとするアプローチには、いわゆるコンピテンシー・トラップ(知の探索の過程において、知の深化を増大することによって、知の探索がおろそかになってしまうという落とし穴)に類似するような多くの不確実性と困難が伴う可能性がある。しかし、それを乗り越えようとするところにこそ、21世紀の第二四半期以降の日本のサービス学がグローバルな独自性を確立するフロンティアが広がっているのではないだろうか。
これが日本のサービス学の独自性としての「生活者ドミナント・ロジック」の提案である。さて、この不確実性と困難を伴うかもしれない「生活者ドミナント・ロジック」は、どこまで日本のサービス学研究者やサービスイノベーション実践者の賛同を得ることができるだろうか?
参考文献
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著者紹介
村上 輝康
産業戦略研究所代表.サービス学会顧問.日本生産性本部理事・サービス産業生産性協議会幹事・日本サービス大賞委員会委員長.情報学博士(京都大学).



